今回は、多摩川しだくら橋から、道所(どうどころ)橋、水根沢橋、水根橋、そして多摩川起点の小河内ダム管理橋までの紹介で、多摩川遡上編の最終回になります。前回終わりのしだらく橋から、むかし道での遡上を再開します。奥多摩町では、むかし道を楽しく歩いて貰う為に注力している様で、色々な名所の説明板が在ります。此処にも、馬の水飲み場の説明板。荷物を運ばせる馬の休憩場所で、傍には「たてば」と云う茶店も3軒在って、菓子、うどん、饅頭、煙草、お酒も売られていたそうです。道の下に見える多摩川の川面は流れが緩やかで深さも在り、薄緑状態です。少し歩くと又、説明板が在ります。荷物の運搬手段として牛も使われていて、牛馬の息災を祈る為の牛頭観音が祀られています。右側斜面に、むし歯地蔵尊。歯が痛い時に、煎った大豆をお地蔵さんに供えて一心に祈ると痛みが治まると云われた民間信仰の一つです。
色々な説明板の名所を撮るのに時間を取られたので、歩を早めます。400m程進むと道所橋と云う吊り橋が現れました。『#92道所橋』は、むかし道から対岸へ渡る吊り橋で、此の吊り橋も前回紹介した、しだくら橋と同じ様に3人以上同時に渡らぬようとの注意書きが在ります。渡って見ましたが、スパンがしだくら橋の2/3と短い45mなので揺れは少なく普通でした。
名称:道所橋
構造種別:無補剛吊橋(歩道橋)
河口からの距離:89km
橋の長さ:45m
竣工:1976年(S51)
むかし道に戻り200m程先のヘアピンカーブの場所に沢から流れる小滝が在りました。多摩川の川面も見えますが、水流は少ない。更に進むと多摩川を挟む渓谷の先に空間が開けて来ました。小河内ダムの下まで残り少しです。
更に400m程進むと、むかし道はダム下への道と合流するので、其方の道に行こうとしたのですが、じぇじぇじぇ!!!道が柵で封鎖され、進めないぞ。此の先は水道局施設なので部外者立入禁止なんだとさ。後100m道を曲がれば、ダム下からの絵と水根橋が撮れたのに残念。仕方ないので、諦めて411号線への道を戻り中山トンネル経由で小河内ダムへ行きます。ガッカリしている所に標高100m程の坂道を上らなければならずMAXキツイです。
長~い中山トンネル(391m)を抜けると、目の前に小河内ダムの一部である余水吐(よすいはき:余剰の水を放流する目的の水路)が見えます。漸く小河内ダムに来たなって云う景観です。因みに余水吐水門からの放流は年に数回程で、ダム水位が90%近くになると行われ、当日の水位は75%であり水門からの放流は見られませんでした。放流された水は一旦、減勢池(げんせいち:越流堤からの水の勢いを弱める施設)を経て多摩川に放流されます。
多摩川の源流は、山梨県甲州市の笠取山(標高1953m)山頂南斜面下で、一之瀬川、丹波川を経て奥多摩湖(530m)に注がれ、多摩川と呼ばれるのは奥多摩湖の湖水出口の小河内ダム余水吐水門から下流になります。と云う事で、減勢池の下からの流れが多摩川の起点になり、多摩川遡上編の終点とします。因みに源流まで行くのであれば丹波山村(600m)までバスで行き、一之瀬高原(1300m)まで8km歩き前泊、翌日に笠取山へ登山と云う残り48kmの工程になります。
ダム余水吐の右側にダム建設工事用鉄道(水根貨物線)の跡が在ります。此の貨物線は廃線では無く、将来の観光用路線への転用を目的に休止線として登録されていて、現在も奥多摩駅までのトンネルや線路が残っています。但し、転用の見込みは無い模様です。
坂道を200m上がると道が分岐しています。小河内ダムへの標識方向へ左折、200m程で小河内ダム入口に到着です。
余水吐水門の上に架けられている橋が水根橋ですが、其の前に水道局施設内で撮影出来なかった『#93水根沢橋』をダム堤体上から紹介します。水根沢橋はダム下流の水道局の専用道路に架かる橋で、ダムの竣工と同時期に完成しています。
名称:水根沢橋
構造種別:上路RCアーチ
河口からの距離:90km
橋の長さ:51.6m
竣工:1957年(S32)
『#94水根橋』は余水吐水門の上に架けられ、水門とダム堤体とを繋ぐ橋で、余剰水が放流された場合に下流の余水吐水路が水で埋まります。現在は、放流が無いので干からびた状態ですね。水根橋もダム竣工と同時期に完成しており、上流側にダムの管理橋が見えます。
名称:水根橋
構造種別:上路鋼桁橋
河口からの距離:90km
橋の長さ:71.7m
竣工:1957年(S32)
余水吐水門の奥多摩湖側に架かる橋が、『#95小河内ダム管理橋』で、多摩川に架かる橋として紹介する最後の橋になります。文字通り小河内ダムの管理用の橋です。此の橋もダム竣工と同時期に完成したものと思われます。
名称:小河内ダム管理橋
構造種別:上路鋼桁橋
河口からの距離:90km
橋の長さ:71.7m
竣工:1957年(S32)
最後に小河内ダムと奥多摩湖を紹介して終わります。小河内ダムは、1938年(S13)に起工されましたが、途中、激化する戦局の為に工事を中止。1948年(S23)から再開したダムコンクリートの打込みは、1957年(S32)まで続けられ、総量1,675,680立方米のコンクリートが使用されています。1957年(S32)11月26日、945世帯の移転のもと完成しています。小河内ダムが完成した当時は、東京の水源は主に多摩川水系に依存していましたが、現在は都の水源の約20%を担っています。
■ダム名:小河内ダム、ダム形式:重力式コンクリートダム、所在地:東京都西多摩郡奥多摩町原5、堤高:149.0m、堤頂長:353.0m、総貯水量:189,100,000立方米、有効貯水量:185,400,000立方米
ダム堤体上に白い建物が2つ見えますが、湖面からみて右側が展望塔です。開館時間:am10:00~pm4:00、休館日:年末年始、入館料:無料。中にダムに関する資料や模型が展示され、3Fからは奥多摩湖が眺望出来ます。入口で来場記念にダムカードを戴きました。ダムカードは国土交通省及び独立行政法人水資源機構が管理するダムなどで無償配布されており、全国で350箇所以上在ります。因みに東京での配布は此処小河内ダムのみ、一番配布の多い県は新潟の25箇所です。
その他の関連施設も紹介します。先ず、第2号取水施設。第2号取水施設とダム下の第一発電所とを導水管で連絡していて、夏季における奥多摩湖表層の温かい水を多摩川に放流し、冷水による川魚の育成低下を改善する為の施設で、遠景2に写っている先端のメッシュスクリーン部から取水されます。
人工降雨装置。此の夏、渇水対策として稼働したのがNewsで流されたので記憶に在ると思いますが、堤体の左側斜面に在りました。人工降雨装置は、水蒸気と結びつき易い性質のヨウ化銀を燃焼させて、其の煙を大気中に放出させて上空の雨雲の中で人工的に水滴をつくる仕組みです。原理的には雨雲の中に核が出来れば雨として落ちますが、地上発煙で上空6000mの雲まで送り込むのは至難の業で、其の効果は眉唾ものです。
奥多摩湖は多摩川を小河内ダムによって堰き止めて造られた人造湖で、正式名称を小河内貯水池と言い、東京都西多摩郡奥多摩町と山梨県北都留郡丹波山村、同県同郡小菅村に跨る東京都水道局管理の人造湖です。 堤体の右側には、小河内ダム建設に於いて亡くなられた尊い87名の霊を祀った建設慰霊碑が立てられています。其の先には、湖畔に沿った自然散策路として「奥多摩憩いの道」が12kmの長さで造られています。
本日は時間が無くなったので後日、日を改めて取材した奥多摩湖と、奥多摩湖に架かる個性的な橋を続けて紹介します。日が変わって、JR奥多摩駅に7:27分着、今まで気が付かなかったけど電車とホームとの隙間が広いのでビックリです。駅前の西東京バスの小菅行(7:33発)で奥多摩湖に7:48分に到着です。撮影しながらジグザグと徒歩で5時間程費やした距離を、たったの15分、¥340で来るとは複雑な気分です。
奥多摩湖バス停前に水と緑のふれあい館が在りますが、9:30からの開館なので帰りに寄る事にして、奥多摩周遊道路で湖畔沿いに進みます。本日は晴天だけど暑くも無く、快適です。因みに地元との標高差は500mなので、其れだけで3℃は気温が低くなります。小河内ダムの背景もブルーでスッキリですね。
約1300m進むと小河内郵便局と原駐在所が在り、入江のような場所からの奥多摩湖です。其の先400mの熱海トンネル(61m)を潜ると、奥多摩湖の一番幅の広い箇所が一望出来ます。中央に、ひょっこりひょうたん島(年配の方は御存知です)が見えます。
室沢トンネル(215m)と鶴の湯トンネル(157m)を抜けた2km先に、鶴の湯温泉源泉が在ります。小河内ダム建設により湖底に沈む事になったがダム建設時に、温泉引揚げ施設が設けられて奥多摩町の旅館、民宿で利用されています。手水石風の鉢に源泉が流れて一般の人も無償で利用出来たそうですが、貼紙が在り、7月から都合により利用不可となっていました。都合って、どんな理由なのかな?
此処からの景観は、対岸斜面の緑が距離に応じてグラデーションしていて、奥多摩湖の奥行きが手に取るように感じられます。湖畔の駐車スペースには、紅いエノコログサが生えています。エノコログサ(別名:猫じゃらし)の変種でムラサキエノコログサ(紫狗尾草)です。イネ科で、日当たりの良い草地や道端に生える1年草。穂が紫色になった品種で、金色になる品種も有ります。ススキも銀色の穂をそよ風に靡かせて、夏の終わりも近いね。
小さいトンネル2つと坂本トンネル(260m)を抜けた約1km先に、真っ赤で派手な色の蜂谷橋(みねだにはし)が見えます。
蜂谷橋は、411号線青梅街道の奥多摩周遊道路に架かる橋です。時期的には紅葉まで未だ早いけど、廻りの緑の中に真っ赤に浮かび上がり、気分は紅葉です。欄干飾りは、男性が女装して踊る民俗芸能「小河内鹿島踊り:国指定重要無形民俗文化財」が描かれています。
名称:峰谷橋
構造種別:下路鋼ブレースドリブアーチ
橋の長さ:125.9m
竣工:1957年(S32)
600m先にカラフルな麦山橋が在ります、今度オレンジ色だ。此の橋も青梅街道の奥多摩周遊道路に架かる橋です。
名称:麦山橋
構造種別:下路鋼ブレースドリブアーチ
橋の長さ:67.1m
竣工:1957年(S32)
奥多摩周遊道路を1km程進むと、411号線青梅街道から分岐して一般国道139号(奥多摩町~富士市)へ続く道が在り、其の起点に深山(みやま)橋が在ります。橋はランガー桁橋ですが、橋の両端部に跳出しの橋が繋がっており、橋の長さは其の部分を含んでいます。此処の欄干飾りには、多摩町小留浦(ことずら)の郷土芸能の三匹獅子舞が描かれています。
名称:深山橋
構造種別:下路鋼ランガー桁
橋の長さ:200.2m
竣工:1957年(S32)
深山橋から左前方に三頭橋(みとうばし)が見えます。三頭橋は奥多摩湖に流入する小菅川の河口部に架かる橋で、構造はアーチから橋床を吊るすワイヤを綾状に組んだもので、ニールセン形式アーチ橋と呼ばれている珍しい橋です。橋の名前は南に在る三頭山から付けられています。
名称:三頭橋
構造種別:下路鋼ニールセン・アーチ
橋の長さ:132m
竣工:1970年(S45)
橋の近くに白い小花をつけたセンニンソウ(仙人草)が咲いています。キンポウゲ科センニンソウ属の多年草で多数の白い花を付けている様に見えますが、4枚の花弁に見えるのは萼片で、本当の花弁ではないそうです。名前は果実には白い毛があり、此れを仙人のヒゲに見立てた事からの由来です。三頭橋と深山橋との間に位置する陣屋前から乗って、バス停奥多摩湖に戻ります。
バス停前の「奥多摩 水と緑のふれあい館」に寄ります。東京都水道局が運営するPR施設で、東京近代水道100周年及び小河内ダム竣工40周年の記念事業として、ダムサイトに奥多摩町と共同で1998年(H10)に開館されました。奥多摩の自然と歴史、水と自然の大切さやダムの仕組みなどが判り易く展示されています。休館日:水曜日、入館料:無料、所在:西多摩郡奥多摩町原5。ふれあい館の横にはナナカマドが実を赤くしていました。ナナカマド(七竈)はバラ科の落葉高木で、赤く染まる紅葉や果実が美しく鳥類の食用となるが、果実酒にも利用出来ます。ナナカマドと云う名前は材が硬く、燃え難く7回竈にくべても燃え残る事から付いています。
2階に奥多摩の郷土料理を味わえるレストランも在り、此処で冷やしたぬきそばを注文。関西風に云うと、そばに天カスを載せた奴です。隣に奥多摩の名産品販売店も在り、お土産に珍しい葡萄の種子から搾った「ぶどうのオイル」を購入です。
此処からバスで奥多摩駅まで帰ります。バスが来るまでの時間、水と緑のふれあい館前の休息場で一服休憩。暫くしてバスが来たので乗車、奥多摩駅から帰宅です。
>>>後書き<<<
今回で、多摩川遡上編は最終回になりました。定年後のブログ開設から約1年経ち、記事の書き方も大分慣れて来ました。閲覧カウント、拍手も段々と増えて来て、励みになります。日頃のブログ閲覧、ありがとうございます。引き続き、ご覧の程よろしく願います。
さて、次回からの遡上テーマを何にするか現在、思案中です。取り敢えず、次回分は多摩川に架かる橋等の纏めを載せる事とし、次弾の遡上テーマは、其れまでに考えておきます。
今回は、多摩川の笹平橋から、琴浦橋、桧村橋、境橋、しだくら橋までの紹介です。前回最終の笹平橋を渡り、南斜面に慈眼(じがん)寺と山祇(やまつみ)神社が在るので寄ります。距離は100m程なのですが、坂道を60m登るのでキツイな!曹洞宗慈眼寺の創建は不詳、近くの山祇神社の別当寺です。所在:西多摩郡奥多摩町氷川1236。境内に在る稚児地蔵、かなりメタボです。
慈眼寺の左上に山祇神社が在ります。1532年(天文1)に慈眼寺住職により愛媛の大山祇神社から分祀、創建されたそうです。祭神:大山祇命、所在:西多摩郡奥多摩町氷川1275。石段上の鳥居は1978年(S53)奉納の明神鳥居、拝殿前に1924年(T13)奉納の狛犬が鎮座しています。
神社近くにも集落が在り、此処から下界景色を見ると、ちょっとした山の上です。毎日、此処への上り下りをするのは大変だね。山には依然として雲が掛かっていますが、雨は漸く止んでくれました。雨だと撮影の度にレンズの水滴を拭き取らねばならず、厄介なのです。
411号線に戻り300m程進むと『#88琴浦橋』が在ります。多摩川の奥多摩町氷川に架かる411号線の橋です。橋の左右は渓谷なので遠景から撮影出来るポジションが無く、1脚にカメラを固定して欄干から差し伸ばしてのタイマー撮影。アングルが思うように調整出来ずに悪戦苦闘でタイムロスだ!プンプン。
名称:琴浦橋
構造種別:上路鋼ランガー桁
河口からの距離:85km
橋の長さ:99.7m
竣工:1973年(S48)
更に411号線を300m程進むと『#89桧村橋』です。此の橋も多摩川の奥多摩町氷川に架かる橋です。此の辺りの昔の地名は桧村と云い、近くの浄水場やバス停に其の面影が残り、此の橋も地名から付けられました。橋の袂にはススキとクズが密集しています。コスモスやタマアジサイの蕾も見られます。葡萄みたいな草も生えています。自宅近くにも在ったな、名前はヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)と云います。ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属の多年草で別名、アメリカヤマゴボウです。北アメリカが原産で日本では明治初期に、各地で雑草化している帰化植物です。実は熟すると青色から紫色になります。名前からして食べられそうですが、草全体と実にも毒があるので絶対に食べないように!
桧村橋も左右が渓谷で囲まれていて、全体の絵は撮れませんでした。
初代の桧村橋は1938年(S31)に架けられ、現在の橋が2代目になります。
名称:桧村橋
構造種別:上路鋼ローゼ桁
河口からの距離:85km
橋の長さ:98m
竣工:1980年(S55)
桧村橋を渡って行くと「小菅の湯」の看板。こんな処に温泉が、と思ったから小さい文字で此れより35分の表示、紛らわしいね。因みに小菅は山梨県北都留郡です。411号線の橋詰トンネル(238m)に入ります、トンネル内は照明が灯っていますが、念の為に携帯LEDライトをストロボモードにして進みます。トンネルを出ると白髭トンネル(359m)が見えます。此の両トンネルの間に在るのが『#90境橋』です。
橋詰トンネルを出て境橋に到着です。境橋も含め今回登場する橋は全て多摩川の奥多摩町氷川に架かる411号線の橋です。境橋の名前の由来は、かつて甲斐の国と武蔵の国の境であった地名から付けられています。
境橋は水面からの高さが約50m、初代の橋はアーチ橋でしたが、現在の橋は、前回紹介した南氷川橋と同じ方杖ラーメン構造で、色も同じブルーです。普通、橋の近くのバス停は××橋前とか、○○橋北と云う名前の付け方ですが、此処のバス停はズバリ境橋で、橋の上に在ります。何故ならば、橋の両端がトンネルだからで、トンネルの中にバス停は置けないものね。
名称:境橋
構造種別:上路鋼方杖ラーメン
河口からの距離:87km
橋の長さ:90.6m
竣工:1975年(S50)
白髭トンネルの手前右側にむかし道(旧青梅街道)へ合流する道が在り、此処から此方の道で進みます。むかし道は、奥多摩駅付近から始まり奥多摩湖へ続いている道で、境橋から100m程進んで合流します。道は砂利、舗装、色々ですがカード柵も在り整備されています。
200m程進むと、右側斜面に白髭神社が在るので寄ります。此の場所に在る大岩は三世紀石灰岩が白亜紀泥質岩の上に急角度で衝上した逆断層で、下層の泥質岩は多摩川の浸食により失われと考えられ、高さ約30mもある巨大な岩がオーバーハングする形で残っています。此の大岩自体を御神体として祀ったのが白髭神社で、地元の人々によって祀られたとの事です。祭神:塩土翁命、所在:西多摩郡奥多摩町境470。参道石段を上がった処に、全て角材で造られた変形の神明鳥居が立ち、手前に1952年(S27)奉納の狛犬が鎮座しています。
断層面が露出した大岩は学術的にも貴重で、此の大岩は白髭大岩と呼ばれ、東京都の天然記念物に指定されています。参道の石段脇にはシュウカイドウが群生しています。
石段を降りて、むかし道に戻ると白髭神社入口の左前方に高さ3m程の大岩と説明板が在ります。下の方に腕が入る程の穴がある事から、往来の人々に親しまれ、力の強い弁慶に付会した「弁慶の腕抜き穴」と呼ばれているとの事です。穴は甌欠(おうけつ)で出来る物に似ているね。それと岩全体を良く見ると、水の流れで削られた割れ目も在り、横に寝せた状態で上から沢水が掛かって出来上がり、上の崖から落ちて此処に止まったのかも?考え過ぎですね。
反対側道路脇に耳神様の説明板。昔は耳が痛い時に医者も居ないし、どうしようもなかったので穴の開いた小石を見つけて、耳神様に供えて祈ったとの事で民間信仰の一つです。
暫く進み、むかし道と平行する白髭トンネルの出口先に、いろは楓の説明板が在ります。いろは楓は山々に自生する樹齢200年位の「山もみじ」の一種で、11月中旬からが見頃です。
300m程先に惣岳(そうがく)の不動尊が在ります。明治年代、水根の奥平大乗印と信仰心の厚い惣岳の奥平庄助によって成田不動尊を勧請・祭祀されたもので、1935年(S10)に本殿と覆舎が再建されています。
暫く進むとトイレ発見、此の先のダムまではトイレは無いので此処で減量します。道の山肌には落石防止用の防護ネットが張られており、ネット下には結構大きな石が落ちています。木立ちの場所には防護ネットが無いので、落石に注意です。
200m程進むと、『#91しだくら橋』に到着です。しだくら橋の辺りは惣岳渓谷と呼ばれ、昔の橋は巨岩から巨岩を繋ぐように20cm程の丸太を5本ずつ藤蔓で結んだ物で架橋していたそうです。現在のしだくら橋は老朽化しているのか、少し前まで5人以上は乗らない様にとの表示だったが、現在は3人に変更されています。「しだくら」と云う名前は、近くに在るシダクラ沢から付けられたのかな?良く判りません。
対岸まで渡りましたが、しだくら橋の揺れは、半端ない程の怖い揺れ方だ!なるべく揺らさない様に吊り橋の中央を歩くが、歩く度に揺れが増幅されスリリング満点。対岸に在る橋の基礎部分に立っても橋の揺れが基礎部分まで伝わってきます。多聞、基礎部分も老朽化していて、此の揺れが増幅しているものと思われます。
名称:しだくら橋
構造種別:無補剛吊橋(歩道橋)
河口からの距離:88km
橋の長さ:61m
竣工:1957年(S32)
>>>後書き<<<
掲載ボリュームが大きく成りましたので、一旦此処で締めます。To be continuedです。
次回は多摩川の、しだくら橋から、道所(どうどころ)橋、水根沢橋、水根橋、そして多摩川起点の小河内ダム管理橋までの紹介で、多摩川遡上の最終回になります。
This best shot
今回は、多摩川の昭和橋から遡上して登計橋、南氷川橋、弁天橋、愛宕大橋、そして笹平橋までの紹介です。本日のスタートはJR奥多摩駅で、早朝からトレッキング(山歩き)の連中がゾロゾロと下車して、混み合っています。駅の西側を流れる日原川の対岸斜面に周慶院が在るので寄って行きます。駅前の道を右に進み日原川に架かる北氷川橋を渡り、日原街道を100m南に戻ると曹洞宗の周慶院が見えて来ます。
参道の石段を上がって行くと正面に本堂、右側に鐘楼堂が在ります。周慶院の創建は不詳、本尊:薬師如来像、所在:西多摩郡奥多摩町氷川1513。じぇ、奥多摩駅方向の山に雲が掛かっています。本日の天気予報は曇りなのに、小雨がパラパラ。近所ならば出直す手もあるが2時間も掛けて来たので、それは無いでしょ!此の儘、小雨で持ってくれるか、晴れるかを願って遡上続行です。
411号線に出て氷川大橋を渡り、駅方向へ50m程戻ります。道路右側に都指定の天然記念物「氷川の三本杉」が聳えています。現在の樹齢700年、樹高は約43mで三本杉と呼ばれているけど、根本は1本で途中から3本に分岐しています。場所は奥氷川神社の境内で、古来より御神木として保護されています。
奥氷川神社は、埼玉県に在る氷川神社、中氷川神社と並び、武蔵三氷川神社の一つです。日本武尊が東征の折に祀った社を起源とし、860年(貞観2)に奥氷川大明神として再興したと伝えられ、1986年(M2)に奥氷川神社に改称しています。因みに現在の奥多摩駅は、開通当時は神社の名前から取った氷川駅だったそうです。祭神:素戔嗚尊、奇稲田姫命、所在:西多摩郡奥多摩町氷川178。入口鳥居は1928年(S3)奉納の神明鳥居、右手に手水舎が在ります。境内中央に拝殿、後ろの本殿は元禄年間(1688~1704年)に建てられた歴史ある建造物で、奥多摩町の有形文化財に指定され、覆屋で保護されています。
拝殿前の狛犬は1929年(S4)奉納刻在り。拝殿屋根の千木、シンプルだけど良い顔をしています。
鳥居右脇の細道を通って、『#83登計(とけ)橋』に行きます。多摩川に合流する支流の日原川に、氷川小橋と云う吊り橋が架かっているので渡ります。
氷川小橋を渡った先に昔の道標が立っており、「右 日原山、左 温泉場」、温泉は近くに在る「麻葉の湯」のことかな?左岸には自然路の遊歩道が在り崖沿いですが、柵が付いていて安全に進めます。下の川ではカヤック教室が開かれていて楽しそうです。河原に降りられる石段も在り、狭いけどミニキャンプも出来そうです。木影に宴の跡(ゴミ)が残されています、マナー違反で残念ですね。ゴミは必ず持ち帰りましょうね!
左岸遊歩道の先の登計橋に到着です。右岸の遊歩道と繋ぐ吊り橋で、人道専用です。
名称:登計橋
構造種別:無補剛吊橋(歩道橋)
河口からの距離:83km
橋の長さ:24m
竣工:1970年(S45)
411号線青梅街道に戻り、遡上します。道路脇には一般民家、お店が立ち並び面白味は在りません。途中に、むかし道(旧青梅街道)の案内板が在り、此の道でも小河内ダムまで行け面白そうな道ですが、多摩川に架かる橋と離れるのでダメですね。この先の境橋以降で利用出来そうなので、楽しみにして411号線を進みます。
案内板から150m程進むと『#84南氷川橋』に到着です。南氷川橋は多摩川の西多摩郡奥多摩町氷川に架かる411号線の橋です。
南氷川橋は、上路鋼の両端を杖(つえ)で支えている様な構造で方杖(ほうづえ)ラーメンと云う構造です。深い谷を渡る橋梁で中間に橋脚が立てられない場合などに用いられていて、方杖を曲線化するとアーチ橋になります。
名称:南氷川橋
構造種別:上路鋼方杖ラーメン
河口からの距離:83km
橋の長さ:99.8m
竣工:1969年(S44)
南氷川橋を渡り奥多摩消防署の先、左側に溜池が在り、睡蓮が咲いています。溜池の後ろ側には小さな祠が3つ在ります。社額などの表記が無く、個人の祠かと思われます。
200m程進むと『#85弁天橋』が目前に現れます。橋の下では釣りをしている人が居ます、雨の中で俺も頑張っているから、お前も頑張れ。弁天橋も多摩川の西多摩郡奥多摩町氷川に架かる411号線の橋です。
弁天橋は水面から約25mの高さで、橋からは上流・下流共に渓谷美に溢れる景観です。
名称:弁天橋
構造種別:PC箱形断面ラーメン
河口からの距離:84km
橋の長さ:71m
竣工:1969年(S44)
弁天橋を渡ると、左に都道184号線の起点となるバイバス道が走り、直ぐ先に赤いアーチの橋。『#86愛宕大橋』が架かっています。
愛宕大橋は、弁天橋の上流70m側に架かっている橋で、411号線青梅街道のバイパス道である都道184号奥多摩あきる野線が通り、愛宕トンネル(1043m)を抜けると海澤方向へ出られます。
名称:愛宕大橋
構造種別:上路鋼ローゼアーチ
河口からの距離:84km
橋の長さ:104m
竣工:2000年(H12)
愛宕大橋から411号線青梅街道に戻ると、直ぐ目の前に本日終着地点の『#87笹平橋』が見えます。多摩川の西多摩郡奥多摩町氷川に架かる411号線の橋で1933年(S8)のラーメン橋の後、現在の橋に架け替えられています。
名称:笹平橋
構造種別:上路RCアーチ
河口からの距離:84km
橋の長さ:71.3m
竣工:1973年(S48)
>>>後書き<<<
掲載ボリュームが大きく成りましたので、一旦此処で締めます。小雨が続いていますが、晴れ間も偶に出て来るので天気は大丈夫だ。此の儘、小河内ダムまで遡上を継続します。次回は多摩川の笹平橋から琴浦橋、桧村橋、境橋、しだくら橋までの紹介です。
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今回は、多摩川数馬峡橋から海沢(うなざわ)大橋、海沢橋、もえぎ橋、そしてJR奥多摩駅最寄りの昭和橋までの紹介です。前回、終わりの白丸トンネルから再スタートします。トンネル脇の迂回道で前回紹介の数馬隧道を潜ります。左手に多摩川が流れ、楓の隙間から川面が見え隠れします。川の色はダム湖の影響で未だ薄いエメルドグリーンです。
411号線青梅街道に合流して500m程進むと、『#79海沢大橋』が見えて来ます。海沢大橋は、国道411号線青梅街道と都道184号奥多摩あきる野線を結ぶ多摩川に架かる橋で、上流側の直ぐ傍に『#80海沢橋』が並んでいます。
海沢大橋は直線で無く、S字状に曲がった造りです。国道411号線から都道184号へ渡って見ると判りますが緩い勾配が在ります。橋が直線の造りだと急勾配になり、冬季にスリップ等の支障が出る為にワザと曲げているものと思われます。
名称:海沢大橋
構造種別:上路鋼曲線2径間連続箱桁
河口からの距離:81km
橋の長さ:104m
竣工:2003年(H15)
『#80海沢橋』は海沢大橋の上流10m程に架かる184号旧道が通る橋です。此の辺りは水量が少なく、水位も浅い。上流方向は一面緑に囲まれ、此れから始まる紅葉の景観が楽しめる場所です。
右岸側から橋の下に続く道が在るので、河原に降りてみます。道は最初のうちは舗装されていたが、途中から竹藪を抜けての獣道です。ニョロニョロ、出て来るなよ!
河原には繁殖力の強い雑草、ゼンダンソウが生えているので種子が付かないように、除けて進みます。センダンソウ(栴檀草)はキク科の雑草で種子は硬く棒状で、先端に刺状突起があります。此れが衣服に引っ掛かる、所謂ひっつき虫の一つです。多摩川の下流域にも生えていて、以前、帰宅してから服に着いていたのに気付きどの位育つのかプランターに捨てた後、凄まじい勢いでデカク成り、他の花に影響が在るので切断した記憶が在ります。釣り人、1名発見。中々当たりが無く、頻繁に場所を変えており見る度に違う処に居ます。河原には珍しくコスモスが綺麗に咲いています、雑草に近い生命力が在り、洪水の時に流れ着いて頑張っているみたいです。
アカトンボも飛んでいます。ミヤマアカネ、2回目の登場ですね。川の水は綺麗で冷たそうなので、何時ものクールダウン休憩です。水はかなり冷たく、長くは浸かっていられません。TVで石をアンバランスに積んでいたのを真似て、オブジェを造りました。意外と積めるものです、コツを掴めば更にアンバランスな状態も出来そうですよ。
海沢橋は、RCアーチ橋では珍しい人道専用の橋です。車が通れる幅も強度も在りますが、右岸が行き止まりになっている為、人道専用になっていました。
名称:海沢橋
構造種別:上路RCアーチ
河口からの距離:81km
橋の長さ:45.5m
竣工:1967年(S42)
海沢大橋を渡ると正面の山肌に水力発電用の導水管が見えます、東京発電㈱の氷川水力発電所です。山の上に調整池が在るのですが、其の池は小河内ダム水褥池(すいじょくいけ)から圧力トンネル(5385m)を通った送水で出来ており、水路式落差:約108m、最大出力:8200kWの規模で1931年(S6)から稼働。発電に使用した水は再び多摩川に戻されています。所在:西多摩郡奥多摩町海沢字神庭785。尚、小河内ダムは1957年(S32)完成なので、其れ以前は西多摩郡小河内村字熱海(ダムにより水没)の多摩川から取水されていました。
遡上における名所の紹介は岸から200m前後を範囲としていますが、右岸側に海澤神社が在ります。少し離れているけど、現在地からだと300m程なので序に寄ります。184号線を100m程進むと奥多摩町消防団前の火の見櫓が在り、右側の海澤神社へ続く坂道を上って行きます。
坂道の途中から左手に、奥多摩さかな養殖センターが見えます。此処ではニジマス、ヤマメ、イワナ、奥多摩ヤマメを養殖し、河川漁協、養殖漁協に卸しています。奥多摩ヤマメって何?、バイオテクノロジーによって全雌三倍体化したヤマメで、普通のヤマメに比べ2倍の寿命で成長、刺身やムニエルなど大型魚ならではの料理用に開発されたヤマメです。所在:西多摩郡奥多摩町海沢53。
坂道を道なりに進んだ先に海澤神社が在ります。創建は不詳、昔は加茂大明神と云われていたそうです。祭神:別雷神、大山祇命、所在:西多摩郡奥多摩町海沢630。参道石段途中の神明鳥居を潜った先に本殿、手前に1937年(S12)奉納の狛犬が鎮座しています。神社下から見た山間の景観、山肌には雲が掛かり、天気が心配だ。奥多摩駅まで残り少しなので歩を早めます。
道を戻ると遠目にお寺が見えました、曹洞宗の向雲寺だ。序なので上に行きます。遠回りの緩い坂道が在るけど目の前に石段の近道が在るので此方から登ります。石段は剥離岩を敷き詰めた造りで、歩き難さMaxです。向雲寺の創建、本尊は不明、山号:竜岩山、所在:西多摩郡奥多摩町海沢455。
海沢大橋まで500m戻ります。411号線青梅街道を200m程進むと大山祇神社への道が在るので寄ります。大山祇神社の創建は不詳、愛媛の大山祇神社から分祀されたものと思われます。祭神:大山祇神、所在:西多摩郡奥多摩町氷川68付近。帰りは来た道を戻らずに、其の儘進み411号線へ出ます。
411号線を100m程進むと新氷川トンネル(605m)が見えますが、多摩川と平行する左の迂回道を進みます。右側の壁面に小さな祠が祀られています。傍の解説板によると、此の辺りは交通の難所で安全と供養の馬頭観音が1814年(文化11)に建立され、旧道から此の場所に移されたとの事です。直ぐ目の前に奥多摩の古生層から湧き出す源泉を使用した「もえぎの湯」が在ります。温泉、良いよね~入りたいよね~。でも取材が残っているし、天気も心配なので此処は我慢します。入浴料:\750/2h、所在:西多摩郡奥多摩町氷川119-1。反対側には足湯(¥100)も在ります。
100m程の遡上で、『#81もえぎ橋』が見えました。もえぎ橋は、多摩川の西多摩郡奥多摩町氷川に架かる渓谷遊歩道の橋です。
もえぎ橋は人道専用の吊り橋なのですが、思ったよりも揺れは少ないです。良く見ると、吊り橋の両側に揺れ止めのワイヤが張られていました。成程、此のワイヤの効果で揺れが少ないのか!感心です。
名称:もえぎ橋
構造種別:無補剛吊橋(歩道橋)
河口からの距離:82km
橋の長さ:66m
竣工年:不明
吊り橋を渡り、対岸の184号線を200m程進むと、本日終着地点の『#82昭和橋』に到着です。橋の左側は愛宕山公園入口、右側は氷川キャンプ場入口になっています。
昭和橋は多摩川の西多摩郡奥多摩町氷川に架かる橋で、都道184号奥多摩あきる野線が通り、左岸先で411号線青梅街道に合流します。橋の下からの絵は下流の氷川キャンプ場まで降りれば撮れるのですが、歩き疲れてエネルギが赤ランプなので申し訳ないけどパスです。因って、昭和橋のショットは上流方向からの同じ様なアングルだけです。許してくなんしょ..
名称:昭和橋
構造種別:上路鋼アーチ
河口からの距離:83km
橋の長さ:97.5m
竣工:1959年(S34)
>>>後書き<<<
今回分の遡上は白丸駅付近からになっていますが、実際は、古里駅からスタートした3 Scene分を遡上しています。古里から奥多摩駅までを地図上の青梅街道で進むと6.5kmなのですが、寺社等への寄り道、右岸から左岸への往復移動、橋の上流下流からの撮影などがある為、倍以上の距離を遡上です。因みに当日の歩行数は、じぇじぇじぇ!!!の36,700歩でした。帰りの青梅線では終点、青梅駅まで熟睡!電車が折り返す寸前で目覚め、危うく奥多摩駅まで運ばれるところでしたよ。青梅駅で乗り換えた始発は東京駅まで行ってしまうので、立川駅の前でブルブルモードが働く様に携帯をセット。此れなら完璧だ!!
そうそう、奥多摩駅で電車が来るまで待ち時間が有り、改札前の売店で山葵漬けと、きゃらぶきをお土産に購入。翌朝のご飯のお供に戴いた、甘しょっぱくて食が進みますよ。次回は多摩川の昭和橋から登計(とけ)橋、南氷川橋、弁天橋、愛宕大橋、そして笹平橋までの紹介です。
28.29日に日光に紅葉狩りに行ってきましたが、かなり歩いたのでグッタリです。明日明後日で編集してSpotで1日,3日にはアップしますので、お楽しみに。
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今回は、多摩川の鳩ノ巣小橋から白丸ダム管理橋、数馬(かずま)峡橋までの紹介になるので、スタート地点はJR鳩ノ巣駅です。駅前に綺麗なトイレが在ります、水道は凍結防止用のヒーター付きの寒冷地仕様だ。と云う事は冬場かなり寒くなるんだな。駅改札を出て右手の道を下って行くと411号線にぶつかり、見えるトンネルは全長78mの鳩ノ巣トンネルです。左側に150m程の迂回道が在るので、其方側を回ります。
迂回道の中間に小さな祠が右の石垣の上に鎮座しています。額も説明板も無く、何だか判らん。隣に石碑、達筆で掘られている文字、「奉納 水神社」と読めます。そ~か、前回紹介した水神社の分社ですね。でも何故此処に在るのかが判りません。反対側に奥多摩町学生寮が在り、横の坂道からも下の鳩ノ巣渓谷に出られます。傍らにツユクサが咲いています。ツユクサ(露草)はツユクサ科ツユクサ属の一年生植物で、2cm程の青い花を咲かせます。何時も咲いているイメージですが、朝顔などと同様に朝に咲き夕方には萎む一日花です。
411号線青梅街道に戻り、此の先の白丸ダムまで行きます。道の右側は斜面の壁、左側は雑木、杉林で川面も見えず、約500mをひたすら遡上します。暫くすると遠目に白丸ダムが見えて来ます。遠くからは全体が見えず、大きさは掴めません。ダムに行くには花折トンネルの左側に在る迂回道に入ります。
左側の迂回道に入ると目の前に白丸ダムが現れる、小型ダムの印象です。白丸ダムは、1963年(S38)に白丸狭窄地帯と呼ばれる多摩川断崖の谷に建設された高さ30.3mの重力式コンクリートダムで、東京都交通局の発電用ダム(正式名称:白丸調整池ダム)です。何故、都の交通局が発電用ダムを持っているかと云うと、1911年(M44)に発足した東京市電気局が1942年(S17)に発電事業を廃止するまで発電供給事業を行なっており、翌年に東京都制が施行された時に東京市電気局から東京都交通局に改称され、交通局内に発電建設室が設置されているからです。白丸調整池から御岳の多摩川第三発電所と、ダム直下の白丸発電所に送水して、合計最大出力は17,500kw。発電した電力は東電に売電されています。堰き止められたダム湖の名は通称、白丸湖と呼ばれており、湖面はエメラルドグリーンで多摩川の景観が一変します。所在:西多摩郡奥多摩町白丸字馬沢石。
『#77白丸ダム管理橋』は文字通りダム管理用の橋で、対岸の白丸遊歩道に続く橋でもあります。現在、白丸遊歩道は何ケ所か落石の恐れがある為、危険が回避出来るまでの間、通行禁止になっています。
名称:白丸ダム管理橋
構造種別:PC桁
河口からの距離:80km
橋の長さ:61m
竣工:1963年(S38)
ダム管理橋へ降りる階段の横に資材運搬用のトロッコが引かれ、階段の途中にベンチが在る広場。銀杏の木陰で休憩、銀杏の実も熟しています。傍にダム建設で亡くなられた方の慰霊碑が建立されています、安らかに、合掌。
迂回道に戻ると、白丸ダム魚道管理棟が在ります。魚道が見学出来る日は不定期で決まっており、7月から8月までの夏休み期間中は毎日開放、その他の月は、土日曜日は解放されています。詳細は奥多摩町役場のHP(http://www.town.okutama.tokyo.jp/kankou/kankou01.html)で確認出来ます。当日は丁度、見学可能な日だったので寄ります。入館料:無料、所在:西多摩郡奥多摩町棚澤。遡上用の魚道は川の左岸沿いに下流方向に向かって階段状のアイスハーバー型で造られていて、途中で上流側に折り返した後、トンネル経由で白丸湖へ抜けます。
受付でパンフを貰い入館、中央に螺旋階段が在ります。階段の蹴上げ高さを20cmと仮定して、1周40段が3.5周なので約28mの高さかな?エレベータは在りません、又、階段を登るのが苦ですが、降ります。
地下?階に到着、外側の魚道からトンネル内に直角に2m幅のアイスハーバー型魚道が繋がっていて、中間で又、直角に曲がる潜孔式魚道で白丸湖に繋がっています。此の魚道は2001 年(H13)に造られ、魚道延長が331.8m、高低差27mなので勾配は1/12ですね。遡上調査の結果では、ひと月に600匹程度の遡上確認が出来ているそうです。魚道沿いに進み、魚道末端で階段を1階分程上がると別の出口に出ました。ん~見た事のある景色だな、先程休憩した場所の裏側じゃん!序なので又、休んでいきます。
次のターゲットは白丸の元栖神社、白丸駅手前まで約700mを進みます。駅改札手前の踏切を渡り、山道を上って行きます。白丸駅のホームに見える白い物体は、白丸をイメージさせる待合室で、単純で判り易い発想ですね。一日の乗客数が100人以下の小さな駅で、ホームの中に民家の玄関がある駅として有名です。
山道脇には沢から涼しそうに清水が流れ落ち、傍にはシュウカイドウが群生しています。シュウカイドウは奥多摩町に来ると何処でも見かける花で、沢からの湿り気のある奥多摩の環境が適しているみたいです。反対側の道路脇にはハナトラノオが早朝から開店、常連のカラスアゲハが朝食に来ていました。
山道を200m程進んだ先に白丸村の鎮守神である元栖神社が在ります。創建は不詳、祭神:猿田彦命、所在:西多摩郡奥多摩町白丸100。入口の神明鳥居の刻みは、明治100年記念とあるので1968年(S43)の建立。拝殿の左手前に手水石が在ります。
拝殿前の石段を上がると、1937年(S12)奉納の狛犬が鎮座、右脇には稲荷神社と熊野神社の境内社が在ります。
神社の御神木は、樹高約25m、幹囲約3.9mの大イチョウです。例大祭では獅子舞が奉納され、川井玉堂が白丸に戦時疎開していた時に、此の獅子舞を観て詠まれた歌碑が残っています。「囃子いま 調べ高まり 獅子荒るる ときしもひびく 警戒警報」
駅方向に戻ります。踏切手前で右折し今度は駅沿いの道を上がって行きます。100m程で沢に架かる杣入り橋を渡り、更に50m程で右手の斜面にお堂が見えて来ます、杣入観音堂です。中に十一面観音菩薩像が祀られているとの事、その他詳細は不明です。所在:西多摩郡奥多摩町白丸。
50m程進むと数馬の切通しの入口が在り、右の細道沿いに進みます。切通しへの道を50m程進むと、道が大きく左にカーブして左に大きな沢が見えます。
沢を越えた先にはV字状に開削された数馬の切通しが、逆光の中に浮かび上がって見えます。幅は2m程で思っていたよりも大きく開けています。数馬の切通しは江戸時代中期、奥多摩と青梅との間には岩盤が在る為、尾根越えが唯一の道だったが、元禄年間に此の場所に地元民が約3年の歳月を掛けて開削して造った道です。長さ5m程の道が2箇所ですが、岩盤を火で焚き、水を掛けて岩肌に亀裂を入れ、ツルハシと石ノミで切り開くと云う気の遠くなる作業の繰り返しで切通しを完成させたと云われています。当時の姿が其の儘、残されており奥多摩町の史跡に指定されています。切通しの入口には隧道開削に携わった方の供養碑が在ります。切通しの先は旧青梅街道に直結していましたが、現在の青梅街道が出来た時点で其の役割を終え、切通しの先端は崖で分断している為、先へは進めないので来た道を引き返します。
先程の数馬の切通し入口に来たら、坂道を下る方向に進むと411号線青梅街道に出ます。正面に今回最終地点の『#78数馬峡橋』が見えますが、其の前に数馬隧道を紹介します。411号線を100m程進むと白丸トンネル(126m)が在り、左の迂回道を進むと見えて来ます。此方の隧道は数馬の切通しの下に位置し、大正末期に開削された物です。岩盤は堆積岩で剥離層が見え、ツルハシで容易に開削出来そうです。但し、時間と労力が必要だね。
最後に数馬峡橋を紹介して終わります。数馬峡橋は下流の白丸ダム上流の橋になる為、川面の色は白丸湖と同じエメラルドグリーンなのですが、流れは澱んでおり木々や葉のゴミが浮遊している為、下流側の景観はイマイチです。
数馬峡橋は、奥多摩町白丸の多摩川に架かる橋で、411号線と対岸の白丸渓谷遊歩道を結んでいますが、現在、遊歩道は崖崩れの為、通行禁止になっています。
名称:数馬峡橋
構造種別:上路鋼単純箱桁
河口からの距離:80km
橋の長さ:約50m
竣工:1992年(H4)
>>>後書き<<<
頁数が多くなったので、今回は数馬峡橋で一旦終わりますが、時間が残っているので奥多摩駅まで遡上を続行します。次回は其の奥多摩駅までの間に在る、多摩川数馬峡橋から海沢大橋、海沢橋、もえぎ橋、そして昭和橋までを紹介します。
今年は台風が多いですね、今週はWで来るし雨で出掛けられないし困ったものです。来週は晴れそうなので、ちょっと足を延ばして紅葉狩りに出掛ける予定で、詳細はSpotで紹介します。
Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
紹介しています
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