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次回アップ予定:Scene-303 相模川『大輪橋、舟場橋人道橋、舟場橋、大原橋、リニア実験線桂川橋梁、大月線落合川橋梁、大月線桂川第一橋梁、禾生橋、中央道古川渡橋』(11/03 12:00)
[Vol-22] 今回は新浅利橋からの継続遡上で、新大月橋、中央本線第二桂川橋梁、大月橋、大月バイパス桂川橋、桂川大橋までの紹介です。新浅利橋を右岸側に渡り右折、180m程先に新浅利橋の上流600mに架かる『#64新大月橋』が見えます。桂川左岸の大月市大月町花咲と右岸の大月市大月とを結び、国道20号(旧道)が通ります。
名称:新大月橋
構造種別:3径間鋼鈑桁
河口からの距離:79.1km
橋の長さ:約66m
有効幅員:約5m
竣工:1970年(S45)
新大月橋の上流隣に架かるのが『#65 JR中央本線第二桂川橋梁』です、左岸側の初狩駅と右岸側の大月駅との間に位置し、中央本線と貨物線が通ります。橋梁は上り下り別々の構成で、上流側が1966年(S41)に複線化された時の架橋です。下流側の橋梁は架橋年が不明です。
名称:JR中央本線第二桂川橋梁
構造種別:1径間上路ワーレントラス
河口からの距離:79.1km
橋の長さ:約62m
軌道:単線×2
竣工:1965年(S40)上流側、
中央本線第二桂川橋梁の上流55m程に架かるのが『#66大月橋』、『ぶらっと遡上探索』で紹介する1000番目の記念すべき橋梁です。てっ、関係ないですよね(笑)。此の橋も桂川左岸の大月市大月町花咲と右岸の大月市大月とを結び、国道20号が通ります。1967年(S42)に歩道橋が上流側に増設されていますが下流側は歩道無し、大型車の通行が多くて路肩歩行が危険なので下流方向の絵は撮れませんでした。
名称:大月橋
構造種別:3径間上路カンチレバートラス+
3径間鈑桁
河口からの距離:79.2km
橋の長さ:197.1m
有効幅員:約8m
竣工:1958年(S33)
大月橋を右岸側に渡った東詰め、老人の憩いの広場に小さな津島神社と3つの道標が在ります。一番右の石碑が一番大きく「右甲州道中 左富士山道」、真中の碑には「右甲州道中 左ふじのみち」、左の碑には「右甲州街道 左富士街道」と書かれています。祭神:牛頭天王、所在:大月市大月2-21。拝殿は1923年(T12)の建立です。
桂川に沿う国道139号を南に300m程進むと、新規架設中の橋が見えます。国道20号の渋滞緩和策として大月橋の上流330mに架かる『#67大月バイパス桂川橋』で、右岸側から来る国道20号バイパス延伸用の橋です。橋の完成予定は2016年(H28)、大月バイパスは2018年(H30)ですが用地買収が未完の地区があり、遅れそうですよ。
名称:大月バイパス桂川橋
構造種別:2径間連続PC桁
河口からの距離:79.5km
橋の長さ:124m
有効幅員:16m
完成予定:2016年(H28)
大月バイパス桂川橋から大月バイパスを東へ130m程進むと、右斜面上に浄土宗寺院の無辺寺が見えます。Google mapでは阿弥陀寺ですが間違いだね。創建は不詳、1698年(元禄11)に本堂が建立されたそうです。山号:紫雲山、本尊:阿弥陀如来像、所在:大月市大月2-9-20。
無辺寺から国道139号に戻ると、途中まで国道と並走する形で富士急行線が走っています。向うから超派手な電車が来たね、富士急行線で稼動する唯一の自社オリジナル車両で、1編成で1日に2往復しています。名前はトーマスランド号、外装も内装も「機関車トーマスと仲間たち」だらけのお子ちゃま電車。大人が乗るには恥ずかしいね(笑)。
国道を840m進むと三嶋神社です。第56代清和天皇の御代、865年(貞観7)の勧請と伝えられています。祭神:大山祗命、事代主命、所在:都留市田野倉144。拝殿は1981年(S56)竣工です。境内社の覆社の中にチビッ子な狛犬が1匹いましたが、怒っている様で眼つき悪いね。相棒は何処に行っちゃったんだろうか?
三嶋神社の裏手180m程に桂川が流れ、今回終着地点の『#68桂川大橋』が架かっていますが、40m程の崖と支流の沢に遮られているので、一旦上流方向へ大きく迂回して1km程を回り込みます。桂川大橋は桂川左岸の大月市大月町花咲と右岸の都留市田野倉とを結び、一般道が通ります。橋下には約6000年前、富士山から流れ出た猿橋溶岩流が浸食された見事な渓谷が眺められますよ。
名称:桂川大橋
構造種別:1径間PC桁
河口からの距離:80.3km
橋の長さ:約82m
有効幅員:約6m
竣工:1991年(H3)
>>>後書き<<<
区切りが良いので此処で一旦閉めて、次回は桂川大橋から遡上して、大輪橋、舟場橋人道橋、舟場橋、大原橋、リニア実験線桂川橋梁、大月線落合川橋梁、大月線桂川第一橋梁、禾生橋、中央道古川渡橋、端から端まで橋梁てんこ盛りの紹介になります(笑)。
先日の入院において、年齢相応の代謝と理想体重から計算された、「貴方の1日の必要摂取カロリーは1600kcal(533kcal/食)です」と云われました。前回の後書きで載せた病院食が1600kcalコースなので、粗食ですよね。試しに最近の料理を計算して見ました。先ずはステーキサラダ:和牛ヒレ肉150g(335kcal)+サラダ油12g(111)+サラダ140g(24)+ドレッシング15g(65)+金麦350ml(151)で合計686kcal。秋鮭のチーズ焼き:秋鮭160g(220)+アスパラ4本(22)+ミニトマト(15)+スライスチーズ(51)+サラダ(24)+ご飯200g(336)で合計779kcal。秋刀魚パスタ:サンマ(214)+パスタ(373)+サラダ油12g(111)+ミニトマト(6)で合計/704kcal。パスタって、意外と高カロリーなんだ。結局、全滅ですね(笑)。
蕎麦ならカロリー低いだろうと思ったら、何と、うどんの方が低カロリーでした。豚しゃぶ納豆そば:豚バラ(253)+大根おろし(11)+納豆(100)+そば200g(228)+麺汁100g(44)、合計/636kcal。豚肉を外して、冷やし納豆そば:大根おろし(11)+納豆(100)+ミニトマト(6)+そば(228)+麺汁(44)、合計389kcal。冷やしサラタ蕎麦:トマト(31)+ゆで卵(91)+ミョウガ(1)+そば(228)+麺汁(44)、合計395kcal。麺汁を残せば30kcalは減るね。
炒飯、丼系は、鮭炒飯:672kcal、豚玉丼:691kcal、ご飯を50g減らすと600kcal前後になるね。焼き鳥4/本(320)+枝豆(100)+キャベツ1/4玉(59)+オクラ(5)+サラダ(24)+金麦(151)、で合計659kcal。焼き鳥、結構有るね。結論、1日1600kcalの食事は自分には、ちょっと無理ですヨ(笑)。運動を追加して代謝アップするしかないね。因みに運動によるカロリー消費量(kcal)=1.05×体重(kg)×運動時間(h)×身体活動のメッツ値で、1時間の散策で約200kcalになります。
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次回アップ予定:Scene-302 相模川『新大月橋、中央本線第二桂川橋梁、大月橋、大月バイパス桂川橋、桂川大橋』(10/30 12:00)
[Vol-21] 今回は宮下橋から遡上して、強瀬橋、高月橋人道橋、高月橋、浅利橋、新浅利橋までの紹介です。スタート地点の最寄り駅はJR猿橋駅で、今まではJR立川駅、高尾駅経由で来ていましたが、今回から乗り換えに少し手間が掛かりますが、往復で220円安くなる京王線高尾駅経由に変更しました(笑)。本日の天気予報は秋晴れでしたが、曇り空!天気予報ハズレです。猿橋駅舎は前回紹介した猿橋の刎木構造を模したデザインですね。
猿橋駅から国道20号線に出て、西に100m程進むと浄土宗寺院の阿弥陀寺が右手に在ります。創建は不詳、当初は内庵(集会所)だったとされ、箱根一ノ澤から甲州に遊行された弾誓上人により浄土宗寺院として開山されたと云われています。山号:法國山、院号:光明院、本尊:阿弥陀如来像、所在:大月市猿橋町殿上19。南都留郡三十三観音霊場の28番札所です。
阿弥陀寺から国道20号線を南に50m進むと、右手に見える駒橋発電所へ続く脇道が在り、下に降ります。道端に、ひっつき虫のコセンダングサが並んでいるのでスボンに付かない様に注意していましたが、別のひっつき虫のアレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)にやられました。マジックテープの様な細かいカギがスボンに密着して、手で払っても取れないので、1個1個摘まんで取ります。
下に降りた所から見える景色は駒橋発電所の施設ではなく、前回紹介した八ツ沢発電所の取水施設で、上流側で桂川からの取水口制水門を経て、駒橋発電所の発電放流水と合流した後、沈砂池を通過してから八ツ沢発電所第一号水路橋へと続いています。此の取水施設を含む水路全体が国の重要文化財に指定されています。
取水口制水門から上流方向に200m程進むと、1907年(M40)に我が国最初の大規模水力発電発祥の地として、運用が開始された東京電力 駒橋発電所が見えます。発電用水は菅野川、朝日川、そして5km上流からの桂川からの取水です。導水鉄管の右横に見える小さな穴は、発電所完成当時に存在した起動用発電機の鉄管跡だそうです。駒橋発電所の構内に展示保存されている水車は、横に立つ説明案内によると、桂川電力の鹿留発電所で1985年(S60)まで使用されていたフランシス水車(1913年(T2)フォイト製)です。
発電所名:駒橋発電所
発電所型式:水路式、流込み式
最大出力:24700kW
有効落差:約103m
水車:立軸フランシス×2台
導水路:総延長6687.6m
所在:大月市駒橋
駒橋発電所前の道を西に200m進むと『#59強瀬橋』です。桂川左岸の大月市賑岡町強瀬と右岸の大月市駒橋とを結び、一般道が通ります。右岸側上流脇に駒橋発電所の貯水槽からのオーバーフロー水が、滝となって桂川に流れ込んでいます。落差は100m程あり、対岸から下の10m部分が見えますよ。看板が目障りなので、Photoshopで消してやりました(笑)。
名称:強瀬橋
構造種別:2径間PC桁
河口からの距離:75.9km
橋の長さ:約56m
有効幅員:約3m
竣工:1971年(S46)
強瀬橋を渡って左岸側の寺社に寄りながら、次の橋へ行きます。先ずは、浄土真宗本願寺派寺院の安楽寺。創建は不詳、山号:龍水山、所在:大月市賑岡町強瀬790。道端に日日草や万願寺唐辛子が並んでいます、万願寺唐辛子は採る時期が過ぎると、ピーマンと同じで赤くなるそうです。辛そうだけど、辛くないよね。
安楽寺から西300m程に曹洞宗寺院の全福寺が在ります。創建等は不詳、所在:大月市賑岡町強瀬425。
桂川沿いの一般道に出て、西に700m程に在る高月橋方向に進みます。途中にコスモス群生があり、右前方には東京STと同じ高さの岩殿山(標高634m)が見えます。
高月橋に到着、手前の橋は強瀬橋の上流1km程に架かる『#60高月橋人道橋』、桂川左岸の大月市賑岡町強瀬と右岸の大月市御太刀とを結ぶ、人道専用です。両脇の高さ60m程の渓谷を見抜ける景観は絶景です、崖上に建つ家、ちょっと怖いね。欄干は全て柵で覆われています、此の高さから落ちたら間違いなく逝っちゃうからね。
名称:高月橋人道橋
構造種別:1径間連続箱桁
河口からの距離:76.9km
橋の長さ:約66m
有効幅員:約2m
完成:不明
人道橋に並んで上流側に架かるのが『#61高月橋』で、此方は国道139号が通ります。橋下上流には直径10m程の岩がゴロゴロ並んでいます、何処から転がってくんだろうね(上流からに決まってんじゃね)。
名称:高月橋
構造種別:1径間上路式鋼ローゼ桁
河口からの距離:76.9km
橋の長さ:約61m
有効幅員:約8m
完成:不明
高月橋から右岸側に移動、南400mに在る大月総鎮守の三嶋神社に行きます。正面鳥居脇の由緒案内碑によると、806年(大同1)伊予国大三島の大山祇神社より勧請、1875年(M8)郷社に列格しています。祭神:大山祇命、所在:大月市駒橋1-3-10。脇鳥居は1943年(S18)、狛犬は1969年(S44)の奉納です。
三嶋神社から国道20号線を西に400m程進むと右手がJR大月駅、此処から帰宅したいところですが今日は富士急行線の田野倉駅付近まで行きます。なので、大月駅前から西200m程に架かる大月跨線橋で富士急行線とJR中央本線を越えて桂川方向に進みます。大月跨線橋から大月駅方向を見渡すと、左がJR線、右が富士急行線です。富士急行はJRや私鉄からの払い下げ車両が殆どで塗装もバラバラ、京王線の塗装車両が入ってくるとビックリするよね。大月跨線橋から見えた車両を少し並べて見ました。
大月跨線橋を渡って北に約500m、桂川右岸方向に降りて行くと『#62浅利橋』です。大月橋から1.1km上流に架かる橋で、桂川左岸の大月市賑岡町浅利と右岸の大月市大月とを結び、一般道が通ります。橋名は左岸地区からの命名です。橋の近くに行くと甘い匂い、金木犀ですね。浅利橋の後ろに見える高架橋は中央自動車道浅利橋です。
名称:浅利橋
構造種別:3径間鋼鈑桁
河口からの距離:78km
橋の長さ:約44m
有効幅員:約4m
竣工:1949年(S24)
浅利橋を左岸側に渡り、中央道高架下から400m程坂を上がると今回終着地点の『#63新浅利橋』です。此の橋も桂川左岸の大月市賑岡町浅利と右岸の大月市大月とを結び、山梨県道512号金山大月線が通ります。
名称:新浅利橋
構造種別:4径間連続箱桁
河口からの距離:78.5km
橋の長さ:130.6m
有効幅員:9m
完成:2010年(H22)
>>>後書き<<<
1週間入院後の久々のブログ編集、眼が疲れたけど何とか終了しました。心臓系の入院手術は初めてで、過去に胸が絞めつけられる症状は年に1回程度あったけど、直ぐに収まっていたので未だ大丈夫と思っていました。ところが、今回は胸の絞め付けが30分以上続き、夜間に市立病院に連絡して急患扱いで検査して貰ったところ、かなりヤバイ状態との事で、ニトロ舌下錠と噛み砕いたバッファリンを飲まされ、循環器専門病院である榊原記念病院へ移送されました。着くや否や、手術室へ運ばれて術式説明と同意書に署名。右手首に局所麻酔、カテーテルが入り造影剤による血管撮影「1箇所、詰まっていますのでステント留置により冠動脈を広げますね」、入院してから1時間程で手術完了です(早!)。術中の痛みは無かったけど、術後のカテーテル挿入口を圧迫止血するバンドの締め付けがキツク、指先が痺れるわ、痛いわで、翌日にバンドが外れるまで眠れなかったね。ACU(集中治療室)、個室、4人部屋を経て、術後経過も良好で1週間後の退院でした。病院食は塩分6g、1600kcal/日で美味くはないね。体重が3kg減っちゃいました(笑)。後、1箇所狭い箇所が有り、来年2月に再治療予定との事です。煙草は止めましたヨ(偉い)、写真はスマホからです。
次回は新浅利橋から遡上して、新大月橋、中央本線第二桂川橋梁、大月橋、大月バイパス桂川橋、桂川大橋までをストック分で紹介します。
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【お知らせ】:緊急入院(不安定狭心症)により、皆様にご心配をかけましたが、ステント留置による冠動脈形成術も無事終了し、25日退院予定です。暫く安静指示が続きますが、退院次第、ストック分でブログを復活しますので、暫しお待ち下さい。
次回アップ予定:Scene-301 相模川『強瀬橋、高月橋人道橋、高月橋、浅利橋、新浅利橋』(10/26 12:00)
[Vol-20] 今回はJR中央本線新桂川橋梁から遡上して、新猿橋、八ツ沢発電所第一号水路橋、猿橋、新猿橋、宮下橋までの紹介です。最寄り駅はJR中央本線の鳥沢駅、駅前から西に線路沿いの道を150m進むと小さな鳥居と祠の神社が在ります、地図の表記と鳥居の扁額は福地権現神社ですが、山梨県神社庁データー登録の福寿神社で紹介します。創建は不詳、福地大明神として祀られ、明治の神仏分離令に際して福寿神社に改称されています。祭神:大国主命、所在:大月市富浜町鳥沢410。
近くに小さな神社が在りますが、山の上なのでパス(笑)、国道20号線を西方向へ2.5km程進み、JR中央本線新桂川橋梁の上流2.4kmに架かる『#54新猿橋』に到着です。桂川左岸の大月市猿橋町猿橋と右岸の同じく大月市猿橋町猿橋とを結び、国道20号線が通ります。
名称:新猿橋
構造種別:1径間上路式鋼ランガー桁
河口からの距離:73.5km
橋の長さ:約118m
有効幅員:約10m
完成:1973年(S48)
新猿橋の上流60m程に架かるのが『#55八ツ沢発電所第一号水路橋』です。上流に在る駒橋発電所(次回紹介)の発電で使用した水を、全長14kmの水路を通して八ツ沢発電所まで導水して、再び発電に利用しています。駒橋発電所から約2kmの導水位置に架かるのが此の第一号水路橋で、水路全体が国重要文化財に指定されています。
名称:八ツ沢発電所第一号水路橋
構造種別:上路RCアーチ
河口からの距離:73.5km
橋の長さ:42.7m
有効幅員:5.45m
竣工:1912年(M45)
八ツ沢発電所第一号水路橋の上流50m程に架かるのが、日本三奇橋の一つ『#56猿橋』で、甲斐の猿橋とも呼ばれる刎(はね)橋です。因みに残りの奇橋は「岩国の錦帯橋」と「木曽の棧」ですが、「木曽の棧」の代わりに、栃木県日光市の「神橋」や富山県宇奈月の「愛本刎橋」、徳島県祖谷の「かずら橋」を挙げる事もあるようです。因みに「木曽の棧」と「愛本刎橋」は現存していません。刎橋とは、両岸の岩盤に穴を開けて刎木を斜めに差込んで突き出させ、其の上に同様の刎木を繰り返して伸ばしていき、此れを橋脚代わりとして橋上部構を渡して組み上げる珍しい橋です。現在の猿橋は、部材を鋼に変えて1851年(嘉永4)の橋を復元したもので、国の名勝に指定されています。
名称:猿橋
構造種別:1径間刎橋
河口からの距離:73.6km
橋の長さ:30.9m
有効幅員:3.3m
完成:1984年(S59)
猿橋の右岸袂に山王宮の祠が在ります。推古天皇(592~628年)の頃、百済国の志羅乎僧園なる者が猿橋最初の架橋者で、此の地に草庵を結び猿橋探月庵と称し居住したと云われています。
猿橋は、白毛の老猿が欅に吊り下り、子猿が互いの手足を繋いで向岸の藤蔓に飛び付いて懸橋の形を作った事をヒントにして架けられた橋で、「甲州猿橋 お山の猿が お手ゝつないで かけた橋」と、野口雨情も詠んでいます。山王宮の右手方向に喜楽稲荷大明神の鳥居と祠、お猿さん(猿覚善大神)が祀られています。猿覚善大神は身延山に向かう途中の日蓮上人が、渓谷に立ち寄った際、突然現れた数百匹の白猿が橋となって日蓮を渡らせたという伝説から造られた像です。
猿橋の上流30m程に架かるのが『#57新猿橋』、#54と同じ名前です。此の橋も桂川左岸の大月市猿橋町猿橋と右岸の同じく大月市猿橋町猿橋とを結び、山梨県道505号小和田猿橋線が通ります。
名称:新猿橋
構造種別:1径間上路式鋼ローゼ桁
河口からの距離:73.6km
橋の長さ:44.3m
有効幅員:約8m
完成:1934年(S9)
新猿橋北詰から北西150m程に臨済宗建長寺派寺院の心月寺が在ります。創建などは不詳、山号:孤園山、所在:大月市猿橋町猿橋606。
心月寺から新猿橋まで戻り、国道20号線を西に1.1km進むと、右手に今回終着地点の『#58宮下橋』が架かっています。桂川左岸の大月市賑岡町強瀬と右岸の大月市猿橋町殿上とを結び、国道20号線から左岸側へ続く一般道が通ります。左岸側に見える赤い橋梁は、中央自動車道の葛野川橋です。
名称:宮下橋
構造種別:2径間連続鈑桁
河口からの距離:74.8km
橋の長さ:107m
有効幅員:約8m
竣工:1981年(S56)
宮下橋から南170mがJR猿橋駅ですが、途中に在る寺社に寄りながら帰ります。先ずは、宮下橋の右岸上流40mに在る、日蓮宗寺院の円行寺。創建は不詳、入口脇の宝塔に當山開祖 身延84世 一行院日円聖人と在ります。所在:大月市猿橋町殿上3。
円行寺から西30mに三嶋大明神の鳥居が見えます。創建は808年(大同1)に伊予国大三島の大山祗神社を勧請したと伝えられています。かつては、大松山三島明神と呼ばれていました。祭神:大山祇命、所在:大月市猿橋町殿上5。
三嶋大明神の南に在るJR猿橋駅内の連絡通路を抜けて、南口駅前に在る臨済宗妙心寺派寺院の大椿寺に寄って、最後にします。創建などは不詳、山号:可月山、所在:大月市猿橋町殿上600-1。
>>>後書き<<<
季節は愈々、秋。少し涼しくなってきましたね、なのでおでん🍢にしました。練り物に大根と卵、ミニトマトも追加、焼酎のお湯割りが旨くなる時季ですね。現在の遡上地区は大月、山梨と云えば「ほうとう」ですね、讃岐うどんを貰ったので、ほうとう風うどん。主役は下茹でした南瓜、脇役にエノキにネギ、豚バラ、玉子、味付けは蕎麦汁に味噌を半分、早くも鍋焼きうどん第一号です。此のまま寒くなるかと思えば、日替わりで気温が25℃、今度は冷やしうどんです。
拉麺も出番が増えそうです、チャーシュー麺。卵は当たりの二黄卵、最近珍しいね。競馬も東京に戻って来て、GⅠも始まるので、良い事が有りそうです。冷やし中華も未だ終わりじゃないよ。豚バラにむきエビ、茹でジャガを加えるとボリューム感が増しますね。焼きそばは、季節に関係なく何時でも登場します、魚粉フリカケを掛けて富士宮焼きそばです(笑)。
最後は肉、豚ヒレカツにマヨネーズ、ケチャップ、ウスターソース、おろし大蒜で作ったオーロラソース掛けです。ハムカツ、偶に食べると旨いよね、今回は玉葱、玉子で閉じてハムカツ丼にしました。豚びきが少し残っていたので、茄子の中身を抜いてみじん切りにして挽肉、片栗粉と混ぜて増量、茄子に戻して茄子の肉詰めです(笑)。ソースは味噌とウスターソース、レモン汁を混ぜた奴です。
桂川(相模川)も残り距離1/3程、次回は宮下橋から遡上して、強瀬橋、高月橋人道橋、高月橋、浅利橋、新浅利橋までの紹介です。
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次回アップ予定:Scene-300 相模川『新猿橋、八ツ沢発電所第一号水路橋、猿橋、新猿橋、宮下橋』(10/17 12:00)
[Vol-19] 今回は梁川大橋から遡上して、下畑橋、虹吹橋、曙橋、JR中央本線新桂川橋梁までの紹介です。最寄り駅になるJR中央本線の梁川駅前から、国道20号線の86.1kmポストまで約2.5km進みます。山梨県道513号へ続く道だけど、細いね。此の道でいいんかな?少し心配になりましたが、200m程下ると橋が見えて来ました。駅から約1時間歩いたので暫し休憩します、久し振りの晴天で今日は暑いね。
『#50下畑橋』は、桂川左岸の大月市富浜町鳥沢と右岸の大月市梁川町立野とを結び、左岸側の国道20号線と右岸側の山梨県道513号とを繋ぐバイパス道が通ります。赤い枝サンゴに似た木は、熟した実が落ちたクマノミズキ(熊野水木)です。
名称:下畑橋
構造種別:1径間上路式鋼単純トラス
河口からの距離:67.6km
橋の長さ:85m
有効幅員:7m
完成:2001年(H13)
下畑橋から86.1kmポストまで戻り、国道20号線を西へ300m程進み左折し、軽沢川に架かる遠堀橋を渡って200m先右手に諏訪犬嶋神社が在ります。境内の由緒案内によると、創建は不詳ですが、本殿から806年(大同1)の木簡が見つかっており、其れ以前の創建と考えられています。祭神:建御名方命、所在:大月市富浜町鳥沢3393。境内に在る欅は、堀の内の大ケヤキと呼ばれていて、樹高:35m、幹周り:8mで、大月市指定天然記念物です。
諏訪犬嶋神社から南西方向に300m程進むと、『#51虹吹橋』です。桂川左岸の大月市富浜町鳥沢と右岸の大月市猿橋町小篠とを結び、山梨県道513号線(梁川猿橋線)へ続く一般道が通ります。下流脇道沿いにはコスモスの群生が護岸を飾り、秋満開ですね。
名称:虹吹橋
構造種別:1径間上路式鋼ランガー桁
河口からの距離:68.3km
橋の長さ:75m
有効幅員:約6m
完成:1976年(S51)
虹吹橋の先に見える、やんぼろ沢川に架かる新下畑橋を横目に山梨県道513号線を西に160m程進むと、左の崖上に養福寺が見えます。崖上に上がると水田が周りに在り、稲刈り後の架け干し作業中ですね。養福寺は鎌倉時代当時、長徳寺が桂川の大洪水で流されて現在の高台へ移転したのが始まりですが、其の後 寺は荒廃してしまい、室町時代に布教に訪れた瑞林祖雲禅師が、寺院再興を祈願し本堂庫裏を再建。此の時に臨済宗に改宗し、建長寺末寺となり金鴛山養福寺として開山したと云われています。山号の鴛、難しい字ですね、「おしどり」と云う漢字です。山号:金鴛山、所在:大月市猿橋町小篠563。
境内に沢山の種類の花が咲いています、初めて見る奴も在り、もう 検索が大変(汗)。紫斑の花はユリ科のホトトギス(杜鵑草)、白色のホトトギスも咲いていました。ピンク色の新芽と白い斑入りの葉が綺麗な奴は、キョウチクトウ科のハツユキカズラ(初雪カズラ)で、春に開花するそうです。秋海棠にシュウメイギク、彼岸花は判りますよね。
養福寺から県道513号を300m程進み、右の脇道に降ります。かなりの急坂なので帰りは大変だ!下に降りると道端にムラサキシキブ、見っけ!確認でクグルと、葉の先端半分にだけギザギザが付いているのでコムラサキでした。白い奴も有るね、此れは園芸品種のシロシキブと云うそうです。100m程東に戻ると前方に虹吹橋が見えます、てっ、其れさっき終わった奴(笑)。左手方向に北野三社神社の拝殿を挟んで覆屋が二つ並んでいます。995年(長徳1)に北野天神を勧請しての創建と云われ、其の後 御岳大神と蔵王社を合祀して北野三社神社になっています。祭神:大己貴命、少彦名命、天児屋根命、日本武尊、天御中主命、武御名方命、菅原道真公、所在:大月市猿橋町小篠217。
稲の架け干しの脇にブロンドの美人が佇んでいます。何してんのかなフリーズだね。動かない訳だ、マネキンの案山子でした。美人だから逆にスズメが寄って来るんじゃねぇ(笑)。草むらでゴソゴソと動く黒い奴、熊!いや、角があるのでヤギだ、ビックリしたなもぅ!!県道513号へ戻ります。
西に200m程、西沢に架かる西沢橋、更に600m先の太田川に架かる新太津橋を渡り、次の寺社へ行きます。橋の脇に珍しい木が在りました。キナコを塗したような蕾が付いた桐です、此れから紫の花を咲かせますよ。道路脇には畑も在り、オクラの黄色い花が綺麗です。コスモスも全開だね。
猿橋町藤崎の春日神社に到着、境内の由緒案内によると創建は不詳、1557年(弘治3)に大膳大夫源信濃守晴信公から、息女北条氏政の妻安産祈願の為として社領7斗余りを賜り、又1612年(慶長17)に将軍徳川秀忠より社領1石7斗2升を寄進されたと云われています。祭神:天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売神、所在:大月市猿橋町藤崎1521。狛犬は1977年(S52)の奉納です。
次に春日神社から西300m程に在る、浄土真宗本願寺派寺院の福泉寺に行きます。創建は不詳、南都留郡三十三観音霊場の27番札所です。山号:徳蔵山、本尊:阿弥陀如来像、所在:大月市猿橋町藤崎997。
福泉寺から東460mに大山神社が在ります。但し、直線的な道が無く、中央本線高架下を大きく迂回して約1km進みます。汗を掻きながら到着したけど、小さな祠だけの神社でガックリ。疲れが、どっと出ました(笑)。創建等は不詳、所在:大月市猿橋町藤崎1464-1。
大山神社から北に300m中央本線高架下に戻り、200m程東に進むと虹吹橋の上流2.7kmに架かる『#52曙橋』です。桂川左岸の大月市富浜町鳥沢と右岸の大月市猿橋町藤崎とを結び、国道20号線と県道513号とを繋ぐバイパス道が通ります。
名称:曙橋
構造種別:2径間連続鈑桁
河口からの距離:71km
橋の長さ:118m
有効幅員:6.5m
竣工:1980年(S55)
曙橋の上流頭上に架かるのが、今回終着地点の『JR中央本線新桂川橋梁』です。右岸側の猿橋駅と左岸側の鳥沢駅との間に位置し、1968年(S43)に梁川駅~猿橋駅間の複線化と同時に供用が開始され、左岸側下り線脇には架橋記念碑が立っています。
名称:JR中央本線新桂川橋梁
構造種別:3径間連続上路ワーレントラス+6径間合成桁
河口からの距離:71.1km
橋の長さ:513m(トラス橋310m)
軌道:複線
竣工:1968年(S43)
>>>後書き<<<
曙橋東詰めから斜面上に階段で上がり、400m東にJR鳥沢駅が在るので、其方から帰宅します。次回はJR中央本線新桂川橋梁から遡上して、新猿橋、八ツ沢発電所第一号水路橋、猿橋、新猿橋、宮下橋までの紹介です。
お気付きの点、照会などがありましたら[拍手]ボタンからコメントを送って下さい、非公開なので気軽にどうぞ。尚、問い合わせ等につきましては、返信用のメアドの書き込みも願います。
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次回アップ予定:Scene-299 相模川『下畑橋、虹吹橋、曙橋、JR中央本線新桂川橋梁』(10/13 12:00)
[Vol-18] 今回は川合橋から遡上して、新倉橋、新倉橋旧橋、金畑橋、塩瀬大橋、梁川大橋までの紹介です。今回も高尾駅からJR中央本線大月行きに乗換えて、四方津駅で下車。駅西端の四方津ガードで中央本線を潜り、前回終着地点の川合橋まで移動します。
では、川合橋から右岸沿いの道を西へ進みます。300m程で道が分岐しており、左に進むと小さな赤鳥居の稲荷神社が見えます。社額無し、山梨県神社庁のデーターベースにも登録が無いので、川合稲荷神社としておきますか。170m程で2本目の分岐道、此処も左の坂上へと進みます。分岐道の正面に呼戸沢に架かるJR中央本線橋梁が2橋梁見えます。山側のPCアーチは1966年(S41)に四方津駅から梁川駅間が複線化した際に架けられた橋梁です。道端に仙人草や臭木など、都心では見かけない草花が咲き、楽しめますね。
山道を260m程進むと三叉路になり、右手の道を180m入ると右手に石灯篭と鳥居が見えます、犬嶋神社です。創建は不詳、川合村の鎮守で、1582年(天正10)武田勝頼滅亡の際の兵乱により社記伝証宝物紛失、1717年(享保2)及び1751年(宝暦1)に再建との記録が残されている古社です。1873年(M6)村社に列格。祭神:天照大御神、月讀尊、大己貴命、少彦名命、所在:上野原市川合3809。石灯篭には1780年(安永9)維持の刻みが有ります。
犬嶋神社から300m進んで大保呂川に架かる大瀧橋を渡り、更に300mで右手に川合橋の上流1.5kmに架かる『#45新倉(あらくら)橋』が見えて来ます。桂川(相模川)左岸の大月市梁川町新倉と右岸の大月市梁川町塩瀬とを結び、国道20号線から対岸の金畑、川合集落への市道が通ります。橋梁銘版が見当たらず、橋梁データーベースにも登録が無いので架橋年は不明、橋名は左岸地区名からの命名です。上流方向に旧新倉橋(吊橋)と金畑橋が見えます。
名称:新倉橋
構造種別:ポニートラス
河口からの距離:62km
橋の長さ:約53m
有効幅員:約6m
完成:不明
新倉橋の上流隣に架かる吊橋が『#46新倉橋旧橋』です。最近まで渡れたそうですが、入口にフェンスが置かれて通行禁止になっています。其の内に撤去されるのかな?吊橋の左岸側は葛のツルに侵略されつつあり、入口が葛で封鎖されるのも時間の問題だね。杉の葉の隙間からニョロニョロが頭を出していて、超ビックリ!ピクリともせずに何処見てんだか、遠くからパチリ。シマヘビでした。
名称:新倉橋旧橋
構造種別:1径間鋼吊橋
河口からの距離:62km
橋の長さ:約62m
有効幅員:約3m
竣工:1971年(S46)
新倉橋から200m程、逆方向に坂を上がり国道20号線に出ます、更に600m進むと金畑橋の入口に到着、桂川清流センターの案内板も見えますね。清流センターは2004年(H16)から運用され、富士吉田市、都留市、大月市、上野原市、西桂町の5市町の汚水を一括処理する終末処理場で、汚水は活性炭汚泥法により処理され桂川に放流されています。
新倉橋の上流400mに架かる『#47金畑橋』も桂川左岸の大月市梁川町新倉と右岸の大月市梁川町塩瀬とを結び、一般道が通ります。橋下の渓谷は急流で川面まで50m程の高さが有り、橋上からの眺望は壮観です。紅葉の時期に来たかったね(残念)。
名称:金畑橋
構造種別:3径間連続箱桁
河口からの距離:62.4km
橋の長さ:約107m
有効幅員:約7m
竣工:2000年(H12)
金畑橋の南詰めから右岸側、南400m程に臨済宗向嶽寺派寺院の瑞渕寺が在るので寄ります。創建は不詳、かつては、白山妙理神社、牛頭天王、薬師堂、愛宕堂も祀られていたそうで、現在は寺の前方に白山妙理神社だけが残っています。山号:亀伯山、所在:大月市梁川町塩瀬622。瑞渕寺入口前の道を50m程入り、ごんだ渕に架かる塩中橋を渡って次の橋へ向かいます。此の辺りは仙人草が多いね、秋海棠もチラホラ咲いています。
700m程進んで金畑橋の上流1.1kmに架かる『#48塩瀬大橋』に到着。桂川左岸の大月市梁川町綱の上と右岸の大月市梁川町塩瀬とを結び、一般道が通ります。深い渓谷に架かる立派な橋だけど、車が全然通らない生活道路ですね。
名称:塩瀬大橋
構造種別:5径間上路式鋼ローゼ桁
河口からの距離:63.5km
橋の長さ:140m
有効幅員:7~9.5m
完成:2001年(H13)
塩瀬大橋を左岸側に渡り50m先のY字路を左に入ると右前方に、朱色の両部鳥居が見えて来ます、小松神社です。平貞能卿が平重盛公の打刀一振と共に尊骨を綱の上の山頂に改葬したのが1186年(文治2)、其の後1273年(文永10)に小松大明神宮を造営して重盛公を祀ったとの伝承があり(此の手の話は彼方此方にあるね)、現在は小松神社と呼ばれています。祭神:小松内大臣(平重盛公)、所在:大月市梁川町綱の上1342。狛犬は2003年(H15)の奉納です。
小松神社から北に100m進み、国道20号線を横切って50m直進で中央本線の綱の上跨線橋(35m)に出ます。古い跨線橋で山側に在る数件の集落用の為、更新が遅れているそうです。線路脇の小道を300m程進むと、行き止まりで左に梁川第二トンネル(151m)、右手に臨済宗建長寺派寺院の全昌寺が在ります。創建は不詳、最初は全松寺でしたが、善松寺と改称、さらに小松山全昌寺、そして現在の龍滝山全昌寺に改称されています。小松山の時代には、先程の小松大明神が合祀されていたそうです。山号:龍滝山、所在:大月市梁川町綱の上938。全昌寺の左前方に線路を潜る向沢ガードが在り、此処から国道20号線に出ます。
国道を350m西に進むと今回終着地点の『#49梁川大橋』が左側に架かっていますが、橋の南西200m程に臨済宗南禅寺派寺院の圓通寺が在るので、先に紹介します。1527年(大永7)の開基で、明海和尚による開山と云われています。現在は無住です。山号:慈雲山、所在:大月市梁川町立野458。
梁川大橋に戻ります。塩瀬大橋の1.3km上流に架かる橋で、桂川左岸の大月市梁川町綱の上と右岸の大月市梁川町立野とを結び、一般道が通ります。此の橋も深い渓谷を跨いでいて、付近に色付きそうな木々も在るので秋に来る場所ですね。残念ながら橋横からの絵が撮れません、低い高さなら下へ降りるんだけど、此の高さじゃムリムリ(笑)。右岸上流に旧橋の橋台が残っていますね、吊橋だったみたいです。
名称:梁川大橋
構造種別:4径間上路式鋼ローゼ桁
河口からの距離:64.8km
橋の長さ:120.8m
有効幅員:5m
竣工:1987年(S62)
最近、靴が合わないのか右足小指の付け根が痛くなる時があり、今回も時間的には余裕が有るのですがギブアップ、梁川大橋北詰から北40mにJR梁川駅(無人駅)が在るので、此処から帰宅します。電車は高尾駅乗り換え無しの東京駅行きでラッキー、立川駅まで45分寝て帰れますね(笑)。
>>>後書き<<<
次回は梁川大橋から遡上して、下畑橋、虹吹橋、曙橋、JR中央本線新桂川橋梁までの紹介です。
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次回アップ予定:Scene-298 相模川『新倉橋、新倉橋旧橋、金畑橋、塩瀬大橋、梁川大橋』(10/09 12:00)
[Vol-17] 今回は桂川橋から遡上して、杖突橋、千足橋、川合橋水管橋、川合橋までの紹介です。最寄り駅は中央本線のJR上野原駅、桂川橋まで南に400m程移動します。橋の畔に金魚屋さんが在り、綺麗な花が咲く水草が浮かんでいます、ホテイアオイですね。「青い悪魔」と呼ばれ、爆発的に繁殖して冬になると枯れて腐敗する為、水質への影響が懸念される植物です。なので、河川や湖に捨てちゃダメですよ。では、左岸側の遊歩道からリスタートします。
800m程進むと、桂川に合流する鶴川(流路延長26.3km)が在り、新巌島橋を渡ります。上流方向に見える橋は巌島橋とJR中央本線鶴川橋梁です。
新巌島橋の左前方に見える白い建物は、1928年(S3)に東京電燈(現在は東京電力)により運用が開始された松留発電所で、西5km程に在る大野調整池からの導水による八ツ沢発電所(西800m程の位置)からの放流水を、リユーズした発電所です。隣に導水管からの余水でイワナ、アユなどを育てている松留養魚場が在ります。
発電所名:松留発電所
発電所型式:水路式、流込み式
最大出力:1440kW×1台
有効落差:4.24m
水車:立軸フランシス
所在:上野原市松留
松留発電所の西側100m程の小山に臨済宗向嶽寺派寺院の正法寺が在るので、養魚場脇から回り込んで上がります、斜面下に六地蔵がお迎えです。甲州市に在る向嶽寺の末寺で、創建などは不詳ですが、本堂の屋根には武田菱があしらわれており、武田に縁のある寺院ですね。山号:松留山、所在:上野原市松留222。庭園整備の重機が入っていて、本堂全体の絵が撮れませんでした。
正法寺前の道を南にクネクネと300m程進むと、突き当りが曹洞宗寺院の悉聖(ししょう)寺です、現在は廃寺になり観音堂だけが残っています。境内の由緒案内によると、創建は不詳、武田氏滅亡後、其の家臣であった加藤一族も落ち延びた箱根ケ崎で滅び、菩提供養の為に尼となった、加藤丹後守の姉君桂安理昌大姉が此の地に建てた一宇と云われています。桂川の上野原水辺は、与謝野鉄幹・晶子が幾度となく訪れた所縁の地で、此処でも「悉聖寺の末の藁屋にとどまりて なほ如意輪の聞ける川音」と、与謝野晶子が詠んでいます。山号:金剛山、聖観世音菩薩像、所在:上野原市松留32。南都留郡三十三観音霊場札所の25番札所です。
悉聖寺の脇道から上を通る国道20号線に出て、次の寺院までの2km程をひたすら西に進みます。川沿いだけど深い木立に遮られて川面は見えませんね、市街地に入ると右手に臨済宗建長寺派寺院福昌寺の参道入り口が見えます。西光寺の末寺で、創建等は不詳。山号:四方山、所在:上野原市四方津737。
福昌寺から国道20号線を挟んで反対側の道に入り、細道を進むとJR中央本線の新四方津第二トンネル(552m)の上に出ます。線路の反対側に降り、脇道をUターンして100m程で、桂川橋の上流3.1kmに架かる『#41杖突橋』です。相模川左岸の上野原市四方津と右岸の上野原市川合とを結び、杖突集落への一般道が通ります。
名称:杖突橋
構造種別:2径間単純合成箱桁
河口からの距離:58.7km
橋の長さ:99.9m
有効幅員:約6m
竣工:1990年(H2)
中央本線脇の道に戻り西へ進みます、赤トンボの季節、秋だね。畑も在りニラの花が咲いています。560m進むと千足方向への標識が立っています。
矢印方向へ左折して200m程で杖突橋の上流600mに架かる『#42千足橋』に到着です。此の橋も相模川左岸の上野原市四方津と右岸の上野原市川合とを結び、千足四方津線林道が千足集落へと続く吊橋です。
名称:千足橋
構造種別:1径間鋼吊橋
河口からの距離:59.3km
橋の長さ:約44m
有効幅員:約3m
完成:不明
左折標識まで戻り西に1km程進むと、千足橋の上流1.2km程に『#43川合橋水管橋』が見えます。此の橋も相模川左岸の上野原市四方津と右岸の上野原市川合との間に架かり、流域下水道用の橋です。右岸側に桂川流域下水道川合中継ポンプ場が在り、2004年(H16)に供用が開始されており、同時期の架橋と推定します。
名称:川合橋水管橋
構造種別:1径間パイプトラス
河口からの距離:60.5km
橋の長さ:約60m
有効幅員:約2m
完成:2004年(H16)推定
川合橋水管橋の上流隣に架かるのが『#44川合橋』で、一般道が通ります。右岸側の橋の袂に川合橋架橋記念碑が立っています。今回、川合橋が終着地点なので北200m程に在るJR中央本線の四方津(しおつ)駅から帰宅しますが、駅の北100mに鼓楽神社が在るので其方に寄ってから終わりにします。
名称:川合橋
構造種別:1径間上路式鋼単純トラス
河口からの距離:60.5km
橋の長さ:63m
有効幅員:5.5m
竣工:1981年(S56)
四方津駅北口から国道20号を東に80m進むと、斜面上に在るニュータウン・コモアしおつに続く、傾斜エレベーター「コモア・ブリッジ」が見えます。川合橋からも見えた奴だね、長さは200m、エレベーターは4分、併設のエスカレーターだと8分の所要時間です。停電になったら、エスカレーターを階段代わりに上がり降りすることになるのかな、キツイね。
「コモア・ブリッジ」前から東70mで鼓楽神社です。創建は1219年(承久1)と云われており、1873年(M6)に村社に列格、かつては奥平大明神と呼ばれていたが、戦後に鼓楽神社と改称しています。境内に上野原町指定の天然記念物であるウラジロガシが聳えています、幹周り:3.2m、高さ:11mです。祭神:佐藤継信、忠信。佐藤忠信は、平安時代末期の武将で、源義経の家臣。義経四天王の1人で佐藤継信の弟です。神社名の鼓と祭神の忠信から連想すると、「初音の鼓」が神社名の由来と思われます。歌舞伎の義経千本桜では、義経は静御前との別れに形見として、1000年生きた夫婦狐の皮で作られた「初音の鼓」を託し、家来の忠信に護衛を頼んで都を後にします。静御前が窮地の時に救った忠信、実は夫婦狐の子狐が化身したもので、父母が恋しくて後を付けていたと云う話。所在:上野原市四方津1896-1。
>>>後書き<<<
少しブログスペースが余ったので、料理ストックから蔵出しです。最近のSpotでパクチー料理を載せましたが、使用後に冷蔵庫に保存した時に袋が空いていてクタクタに萎れてしまいました。あらら、捨てるか!根付きだったので、ダメ元で水鉢に浸けておいたら一晩で復活しました、買った時より生き生きしているね(笑)。なので、使い切ります。先ずは、茎の部分を細かく刻んで塩胡椒で味付けした鳥胸肉の香草焼きです。仕上げに葉っぱをパラパラして完成、大根サラダと一緒にサッパリした風味で旨いです。残りのパクチーはキャベツとシメジを茹でて、かき卵仕立てのスープに九条ネギとパクチーをドッサリと乗せたフォー風ラーメン、細切りの鳥胸肉を塩茹でにして竹輪天と玉子を添えてフォー風うどん。両方イケテます。
パクチーはやっつけたので、後は普通のカルビ焼き肉、ビールのお供です。豚肉とピーマン炒め、ピーマンは最後に軽く火を通すくらいが好きです。残ったら炒飯の具行きですね。
ナスが旨い時季になって来たので、獅子唐、厚揚げと一緒に焼きました。大根おろしにポン酢と分葱をドッサリとブッカケて、焼酎が合いますね。未だ、暑い日が偶に来るので焼きナスの冷やし中華、付属のタレにおろし生姜を混ぜると、ワンアップしますよ。最後は明太子パスタ、冷凍状態でカットして保存しておくと使い易いね。
次回は川合橋から遡上して、新倉橋、新倉橋旧橋、金畑橋、塩瀬大橋、梁川大橋までの紹介です。
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次回アップ予定:Scene-297 相模川『杖突橋、千足橋、川合橋水管橋、川合橋』(10/05 12:00)
[Vol-16] 今回は弁天橋から遡上して、境川橋、桂川橋側道橋、桂川橋までの紹介です。スタートはJR藤野駅、今回も高尾駅で小淵沢行に乗換えます。ん、時間になっても発車しないね、暫くしてアナウンス「此の電車は7:47分発の河口湖行きです」。アッチャ~1本後ろの電車だね、乗りたかった電車は番線が違っていました。何時も降りたホームの反対側に止まっている奴に乗っていたので、思い込みで失敗、20分ロスでJR藤野駅に到着です。駅前の国道20号線を西に600m程進んでJR中央本線の跨線橋で線路を越します。此の辺りの国道20号線は歩道が無く、代わりに中央自動車道の高架下に歩道が在ります。550m程進むと関野宿本陣跡の案内板が立っています。関野宿は諏訪番所を通り甲斐の国に通じる最後の宿という事もあり、重要視されていた場所で、本陣、脇本陣を備えた宿場でしたが、1888年(M21)と其の後の2度の火災で焼失していまい、本陣の名残は何も在りませんね。
更に80m進むと、右手に曹洞宗寺院増珠寺の入口が見えます。参道入り口には柵が在りましたが、フックを外してお邪魔します。1512年(永正9)に北2km程、大日野原に在った古寺を功雲寺7世潮翁能音大和尚により黒澤山隠棲寺と称して開創されましたが、其の後火災により焼失、1785年(天明5)一堂快鞭大和尚の時、関野宿に移転改築されたと云われています。関野宿出身の追手風喜太郎は1831年(天保2)に4代目追手風となり大関まで昇進した大相撲力士で、所縁のお寺になります。山号:龍渕山、本尊:延命地蔵菩薩像、所在:相模原市緑区小渕1273。津久井三十三ケ所観音霊場の第25番札所です。
増珠寺前から国道20号線を120m進み、裏道に300m程入ると三柱神社の参道前に出ます。境内入口の由緒案内によると創建は不詳、唐土(からつち)明神を祀った関野・小渕の鎮守です。1849年(嘉永2)に力士追手風の寄進により本殿が再建され、1873年(M6)に大牟礼神社と八坂神社が合併され三柱神社と改称されています。祭神:軻遇突智神、大己貴命、素箋嗚命、所在:相模原市緑区小淵1025。境内に可愛らしい女神様が居ますよ。石灯篭は1826年(文政9)の建立、鳥居は1971年(S46)の奉納です。
三柱神社入口の崖下に国道20号線が見えます、地図には載っていませんが右手の坂道を下ると出られそうなので行って見ます。70m程下りるとJR保線区域の入口で新小渕トンネル前に出て、左手に国道への道も見えます。時刻表を確認すると下り列車がそろそろ来ますね、此処で暫し撮り鉄用の小休止です(笑)。
国道20号線を300m程西へ進み、名倉入口で左の脇道に入ります。250mで途中の境沢に架かる境沢橋を渡り、100m程下ると『#38境川橋』ですが、手前の段丘上に寺社が固まっているので先に寄ります。乙女坂を600m程上がると最後の右カーブ脇に諏訪関跡の史跡案内が在ります。此処は境川番所・境川口留番所とも呼ばれ、通行取り締りと物資出入り調べ、高瀬舟取り締まりと徴税、鶴川渡し場取り締り、通行手形改めなど行なっていた場所で1871年(M4)に廃止になりました。所在:上野原市諏訪木のはけ20。
途中に見掛けた綺麗な花を載せます。胡瓜の花に似たエンジェルトランペット、胡瓜はウリ科、此奴もウリ科です、花と葉っぱにアルカロイド系の毒を含んでいるので触らないでね。5弁の赤い花はモミジアオイ、フヨウの仲間です。実が逆立ちした茄子の様な奴、偶に見掛けるけど名前は知らなかったので検索、五色唐辛子でした。これから赤、白、黄色、緑などのカラフルに変化して、形も唐辛子の姿になります。食べられるそうですが、超辛いそうですヨ!
諏訪番所跡から700m程北西に進んで、曹洞宗寺院の慈眼寺に到着です。保福寺の末寺で、1593年(文禄2)の建立、1602年(慶長7)に桂岸祖仙首座による開基と云われています。本堂は1916年(T5)に倒壊し、1930年(S5)に再建しています。鐘楼堂は1941年(S16)の建立で、梵鐘は戦時中の供出により現在は在りません。てっ、何かブラがっているね。近くに行って見ると、ドラム缶でした。どんな音色なんだろうね(笑)。山号:護国山、本尊:十一面観音像、所在:上野原市上野原160。
慈眼寺参道入り口から北西80m程に日蓮宗寺院の船守寺が在ります。山門左の石碑に「日蓮大聖人伊豆御法難の危難を御救い申した船守弥三郎殿伊東川奈船守山蓮慶寺より分骨の地」とあり、山門裏手に在る由緒案内によると、日蓮上人が1261年(弘長1)鎌倉幕府により伊豆に流された時に救った弥三郎夫婦が、後日、日蓮より船守の御名を授けられたと云う故事によるもので、夫婦の出身地という縁から1955年(S30)に現在地に創建されたお寺です。山号:上原山、本尊:十界曼陀羅、所在:上野原市上野原185-3。
船守寺の西隣に古郡諏訪神社が在ります。境内の由緒案内によると、康治年間(1142~1143年)に武州横山党の横山三郎忠重が鎌倉幕府より古郡の里に派遣され、土着して古郡忠重と名乗り久安年間(1145~1150年)一族の氏神として古郡神社の名称で創建したのが始まりで、社額も古郡神社のまま残されています。其の後、古郡一族は和田義盛の反乱に加担し滅亡。1249年~1268年、建長寺開山僧の一人である大覚禅師が信州の豪族・上原上野介義実を伴い此の地を訪れた際に荒廃した社殿を再建し、信州諏訪大社より御霊を勧請して古郡諏訪大明神と称したと伝えられています。其の後、1577年(天正5)上野原村領主加藤信景により社殿が再建されるが、1582年(天正10)に都留郷攻めの北条氏により放火され、1604年(慶長9)に本殿が修復されています。1873年(M6)に村社に列格。祭神:建御名方命、所在:上野原市上野原210。狛犬は1995年(H7)の奉納です。参道脇に立派な杉が並んでいますが、1本が枯れており安全の為に伐採中でした。
古郡諏訪神社から約1.3kmを戻り、『#38境川橋』へ行きます。境川橋は神奈川県と山梨県の県境に架かる橋で、相模川左岸の上野原市上野原と右岸の相模原市緑区名倉とを結び、神奈川県道・山梨県道520号吉野上野原停車場線が通ります。国内で最初に架かった二一ルセン・ローゼ桁形式の橋です。橋下を上流に向かって進む土砂運搬船が見えます、相模湖に堆積した浚渫土砂を運ぶ運搬船「じんば3号」です。本日の天気予報は曇りのち晴れで、時間的には晴れの予定ですが雲が取れませんね。暗い絵になりゴメンナサイ( 🙇 )。
名称:境川橋
構造種別:1径間下路式鋼ニールセン・ローゼ桁
河口からの距離:53.8km
橋の長さ:99m
有効幅員:約6m
完成:1967年(S42)
境川橋を渡って右岸側に移動し、南東500m程に地図に載っている名倉諏訪神社へ行きます。途中の電線に絡みつくツル植物、葛です。紫の綺麗な花が咲き、近くに寄ると葡萄の様な甘い香りがするのに、繁殖力が尋常でなくツルは10m以上も伸びます。地下茎を除かない限り根絶は難しい植物です。蕎麦の花に似ているのはミゾソバで斜面の湿っぽい場所に生えますが、此方は1年草で可愛いね。坂道を上がって行くと左手に鳥居が見えました。ん~、普通の民家の庭先に建っているね。神奈川県神社庁にも登録が無く、検索するもノーヒット、屋敷神みたいですね。所在:相模原市緑区名倉2546-4。
170m来た坂道を下りると、次に寄る石楯尾(いわたてお)神社の方向案内板と幟柱が両脇に立つ参道入り口が在ります。途中で対向からの車が止まり、此の先で道路に倒木が在り引き返して来たとの事、人は脇から通れるみたいだけど注意して下さいネと教えられました。「ありがとうございます」、地元の人は親切だね。400m程で右手に鳥居と苔生した石段が見えたので上がります。鬱蒼とした境内かと思いきや、神門の先は綺麗に手入れされた境内でした。境内の由緒案内によると、創建は2000年以上前とされる古社で名倉の権現様とも呼ばれ、相模国の延喜式内社十三社の内の一社(小社)です。源頼朝が祈願所として御墨印75石余を寄進し、7つの大鳥居を建てたと云われ、1569年(永禄12)武田信玄の小田原攻めの際に社殿を焼失、現在の社殿は1724年(享保9)に再建されたもので、1873年(M6)郷社に列格しています。祭神:石楯尾大神、事代主神、日本武尊、護良親王、木花開耶姫命、保食神、天村雲命、中筒男、天児屋根命、火産霊神、埴山姫命、水波能売神、菊理姫命、所在:相模原市緑区名倉4524。鳥居は1915年(T4)、狛犬は1928年(S3)の建立、御神木の二本杉は神奈川県の天然記念物指定です。
脇の参道から道路に出ると、後ろに倒木が見えました。コナラですかね?根本からでなく、途中から折れて落下しています。脇を強引に通れば抜けられるけど、車に傷が付くね。近くに石楯山登山道入口が在り、傍にお地蔵さんが居ました。700m程、山道を進んで名倉沢橋に出ると視界が開け、相模川が目に入ります。尚、地図上では此処から上流は桂川の名称になっています。左前方には途中で見た土砂運搬船が係留され、浚渫土砂が陸揚げされています。右岸側の堤防造りと南側の鶴島土地改良区(農地造成)に活用されているそうです。
堤防道路を挟んだ山側の道を500m程進むと、左手の高台に臨済宗南禅寺派寺院の青苔(せいたい)寺の本堂側面が見えます。山門まで100m程の距離なんだけど超急坂、終盤なので足が思うように上がりません(ヒー)。境内の木陰で暫し休憩です。青苔寺は1395年(応永2)敕謚法光圓融禅師による開山で、開基は小俣家とされています。山号:飯盛山、本尊:薬師瑠璃光如来像、所在:上野原市鶴島611。美寶(みたから)観音は全身6mの石造十一面観音像です。山門は1996年(H8)本堂落慶に伴い竣工、鐘楼は1981年(S56)竣工。
青苔寺から北に400m程、堤防道路下の隧道を潜り河川敷へ出ます。此処から上流1.6kmまでは相模湖の延長で川の流れは緩く、川幅も200mは有るね。遊歩道にはベンチも在り、又休憩です。あれっ、ハンドタオルが無いね、そうか青苔寺で休んだ時に置き忘れたな、お気に入りだったけど戻るのも面倒なので諦めます。
400m程上流に見えるのが今回終着地点の『#39桂川橋側道橋』で、相模川左岸の上野原市新田と右岸の上野原市鶴島とを結び、隣に架かる桂川橋の側道橋(人道専用橋)です。
名称:桂川橋側道橋
構造種別:5径間鋼鈑桁
河口からの距離:55.6km
橋の長さ:約200m
有効幅員:約2m
完成:1973年(S48)
桂川橋側道橋の上流隣に架かるのが『#40桂川橋』で山梨県道・神奈川県道35号四日市場上野原線が通ります。昼近くになり気温も上昇、桂川橋の北詰から北西230mにJR上野原駅が在り、区切りも良いので中央本線で帰宅します。
名称:桂川橋
構造種別:5径間鋼鈑桁
河口からの距離:55.6km
橋の長さ:約200m
有効幅員:約5m
完成:1961年(S37)
>>>後書き<<<
先日のWindowsの自動更新インストール長かったね、1時間以上掛かりました。其の前日には、PC動作がノロノロになりイラッと来ましたが、裏でのアップデートだったんだ。インストールが長時間掛かる場合は、「此れからインストールを開始しますが、良いですか?」などのメッセージを出せ!急ぎでPCを使いたい時に、勝手に割り込むなよ(怒)。昔は、メッセージが出ていたと思ったけど?
怒り序に、EPSONプリンターにも。EP-901Aに「廃インク吸収パッドの吸収量が限界に近付いています」の表示が出て、修理交換を検索したら、昨年に修理対象期間を過ぎた機種なので受け付けないだと。使用頻度は低く、其の分、目詰まりでヘッドクリーニングを頻繁に実施していたせいか?詰まった1色だけ、クリーニングしてくれれば良いのに、勝手に全色クリーニングするからだよ!取り敢えず、動かなくなるまで使って、買い替え機種は単色ヘッドクリーニングが出来るCANONにしよう。
次回は桂川橋から遡上して、杖突橋、千足橋、川合橋水管橋、川合橋までの紹介です。
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Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
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