ぶらっと遡上探索

河川沿いの散策、橋と付近の名所を写真で紹介します。偶にSpotで色々と...

Scene-283 相模川『JR東海道新幹線相模川橋梁』


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次回アップ予定:Scene-284 相模川『戸沢橋』(08/04 12:00)
[Vol-3] 今回は神川橋から遡上して、JR東海道新幹線相模川橋梁までの紹介です。前回、帰り際に寄った左岸側の寺社などから紹介します。先ずは、神川橋の上流210mに在る寒川取水堰、相模川左岸側の高座郡寒川町宮山・寒川町一之宮と右岸の平塚市田村との間に在り、1964年(S39)の竣工で、取水は東12km程に在る小雀浄水場へと送られ工業用水や上水道に利用されています。堰には階段式と舟通しデニール式の魚道が付いており、魚道の脇に沢山のサギが食事中です。左岸側には、「川とのふれあい公園」と云う親水公園が在り、対岸越しには富士山が良い感じで望めます。





 名称:寒川取水堰
 堰形式:重力式可動扉付フローティング堰
 堰高さ:6m、堰長さ:270m
 土砂吐水門:1門ローラーゲート(幅13m×高3m)
 洪水吐:3門ローラーゲート(幅20m×高2.5m)
 魚道:階段式(幅10.4m)、
 舟通しデニール式(幅7.2m)


あっそうだ、多摩川や荒川などのダム・貯水池で貰ったダムカード(国土交通省などが配布しているカード型式のパンフレット)が寒川取水堰にも有り、神奈川県企業庁の水道記念館に行くと貰えますよ。此処も、前回の帰りに寄っていますので紹介します。神川橋東詰めから県道47号線沿いに東に500m程行くと、左側にJR相模線の大門踏切が在り、寒川神社(此の後で紹介)の表参道一之鳥居が見えます。鳥居の先左手に細い入口が在り、寒川第1浄水場創設時の石造正門(裏門)から入れます。1984年(S59)に県営水道50周年を迎え、県営水道発祥の記念施設である旧ポンプ場を活用した水道記念館で、建物の前には和風庭園の水の広場が在ります。中に入ると正面にアクアバー、ビールが出てくれば最高なんだけど、文字とおり出て来るのは出来立ての水道水です(笑)。受付でダムカードを戴き、館内を散策、水をテーマにした子供が喜びそうな展示が並んでいます。建屋の裏に漏水した水道管が展示されています、1cm厚さ程の鋳物管に穴が開くんだね、水の力って凄いね。






左岸沿いに平行する首都圏中央連絡自動車道の高架下を進み、寒川上水場の中を抜けて行きます。此の辺りは裏道で信号も無いので道路横断時は注意が必要です、ネコちゃんも左見て右見てヨシ!賢いね。JR相模鉄道の水道第三踏切を渡り東に200m程で相模川水系の目久尻川(流路延長19.2km)に架かる、いこい橋を渡ります。橋の両脇に1m程の太い導水管が渡されていますね。






いこい橋を渡って直ぐに寒川神社参道に出ます、参道を200m程進むと大きな寒川神社の二之鳥居(高さ16m、柱の直径1.6m)が在り、100m先には先程の寒川取水堰から小雀浄水場へ行く大きな導水管(φ2000)が渡る目久尻川水管橋が見えます。100m程先には寒川神社の三之鳥居が見えるのですが、手前に高野山真言宗寺院の西善院が在りましたので寄ります。創建は1671年(寛文11)、弘誉法師による開基と云われ、江戸時代は寒川神社の供奉僧(ぐぶそう)として、神社内の仏事を執り行なっていましたが、明治維新の神仏分離令で神社から独立し、其の折りに廃絶した別当薬王寺、供僧神照寺、同中之坊、同三大坊の本尊や檀家を引継いでいます。山号:霊信山、本尊:阿弥陀如来坐像、所在:高座郡寒川町宮山3925。相模国準四国八十八ケ所の第62番札所(元薬王寺)、第73番札所(元神照寺)です。




寒川神社の創建は不詳、古代、相模川沿いは相模国造(地方を治める官職)が居て、有力な豪族の何れかが造営したと推定されています。相模国一之宮と称され、約1500年余の歴史を有する神社で、関八州の裏鬼門に位置し、古くより八方除の守護神として朝廷をはじめ、源頼朝や武田信玄などの武将からも信仰を受けてきたと云われています。1871年(M4)に国幣中社に列格、祭神:寒川大明神(寒川比古命、寒川比女命)、所在:高座郡寒川町宮山3916。神門は1993年(H5)に竣工、社殿は1997年(H9)に大改築、狛犬は1994年(H6)の奉納です。








西隣に寒川神社末社の宮山神社が在ります。境内の由緒案内によると、宮山各地区に在った境内末社の琴平社、境外末社の八剣社、雷社、祢岐志社、若宮八幡社を1908年(M41)に合祀、1913年(T2)に境内末社の稲荷社を合祀、1969年(S44)に三峰社を合祀しています。祭神:大物主神(琴平社)、須佐之男神(八剣社)、健御雷之男神(雷社)、大雀命(若宮八幡社)、聖神(祢岐志社)、宇迦御魂命(稲荷社)、伊邪那岐命・伊邪那美命(三峰社)、所在:高座郡寒川町宮山3861-5付近。鳥居は2003年(H15)の奉納です。


次に東海道新幹線相模川橋梁を左岸側から撮りたいのですが、JR相模鉄道を越えられる踏切が2.2km先にしか在りません。なので、500m先に在る宮山駅から1駅(1.5km)乗って倉見駅で下車、200m程北進すると寒川倉見郵便局の前に小さな倉見水神宮が在りました。傍に立つ由緒案内によると、1929年(S4)に相模砂利が建立したもので、隣に相模五郎の碑が在ります。明治の終わり頃、倉見に居た本名須田亀助と云う草競馬の名騎手を記念した碑です。近くのJR相模鉄道倉見踏切を渡り、やっと相模川の左岸側に入り込めました。此処からの絵は最後の相模川橋梁紹介で使用します。此処までが前回からの継続で、倉見駅から帰宅しました。


日が変わりまして神川橋から右岸側を紹介します。先ずは、神川橋西詰め上流脇に在る田村八坂神社からです。田村の鎮守社で、境内の移設記念碑には神川橋架替工事に伴い社殿、末社(四社)、鳥居、神楽殿、狛犬、石燈篭等を1990年(H2)に移設とあり、創建は不詳です。「新編相模国風土記稿」には、牛頭天王社と記されており、1869年(M2)に八坂神社に改称されています。祭神:素盞嗚尊、所在:平塚市田村8-21。狛犬は1974年(S49)の建立です。






八坂神社から次に寄る寄木神社まで北に1.6km程をひたすら歩きます、本日は、未だスタートしたばかりなので楽勝ですが、遡上終盤だったら心が折れているね(笑)。約25分で寄木神社に到着、境内の由緒案内によると、859年(貞観1)大神朝臣田村麿が京都より此の地に下向し、当地に屋敷を構えると共に、氏族の遠祖を祀ったのが始まりと云われています。現在の社殿は関東大震災時に破損修復したものです。御神木の銀杏は推定樹齢500年、樹高23m、幹周り5.6mで平塚市の保存樹木に指定されています。祭神:大己貴命、所在:平塚市大神2746。境内社:八坂神社、神明社。境内にセキレイが遊んでいました、頬が白いのでハクセキレイです。




寄木神社から東に500m移動し相模川に出ます、上流400m程に見えるのが今回終着地点の『#06 JR東海道新幹線相模川橋梁』です。トラスには防音・防風板も無く、新幹線がスッキリと見え、右岸側は絶好の撮影ポイントになっています。土手と橋梁下との高さは1.5m程で、腰を曲げた爺様姿でないと通れませんね(笑)。河川敷には普段、声はすれど 姿見せずの雉が珍しく姿を見せました。上を飛んでいるパラモーターにビックリぽん、で出て来たのかな。
JR東海道新幹線相模川橋梁は相模川左岸の高座郡寒川町倉見と右岸の平塚市大神との間に位置し、左岸側の新横浜駅と右岸側の小田原駅との略中間に在ります。







 名称:JR東海道新幹線相模川橋梁
 構造種別:6径間下路ワーレントラス
 河口からの距離:8.9km
 橋の長さ:約360m
 軌道:複線
 竣工:1964年(S39)



>>>後書き<<<
次回はJR東海道新幹線相模川橋梁から遡上して、戸沢橋までの紹介です。

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  1. 2016/07/31(日) 12:00:00|
  2. 相模川

Scene-282 相模川『馬入橋、湘南銀河大橋、神川橋』


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次回アップ予定:Scene-283 相模川『JR東海道新幹線相模川橋梁』(07/31 12:00)
[Vol-2] 今回はJR東海道本線馬入川橋梁から遡上して、馬入橋、湘南銀河大橋、神川橋までの紹介です。先ずは、東海道本線馬入川橋梁の上流70m程に架かる『#03馬入橋』からですね。相模川左岸の平塚市馬入と右岸の平塚市馬入本町・榎木町とを結び、国道1号線が通ります。「かながわの橋100選」の35番です。鎌倉時代、源頼朝が旧相模川橋の落成式に出席した帰り、平家の亡霊に驚いた馬が暴れて川に落ち、其の時の怪我が原因で頼朝が死亡したという説があり、馬が川で溺れて死んだ事から相模川の下流部分を馬入川と呼ぶ様になったとも云われています。馬入橋の創架は1878年(M11)の木橋、1911年(M44)に2代目の鋼橋に架け替えられています。11年後に再び架け替えていましたが、工事中に発生した関東大震災により被災、下部工が崩壊しており、此の橋の代わりに陸軍第15及び16師団が橋梁を架け直しています。右岸上流に馬入雨水排水樋管、形式:鋼製ローラーゲート、径間:5m×2連、門扉高さ:3.75m、竣工:1980年(S55)。が在ります。右岸側に見える山並みは丹沢山系です。





 名称:馬入橋
 構造種別:8径間鋼鈑桁
 河口からの距離:1.9km
 橋の長さ:563m
 有効幅員:13.3m
 完成:1980年(S55)



相模川関連の寄り道スポットとして外せないのが、国の史跡及び天然記念物に指定されている旧相模川橋脚です。少し遠い場所なので、馬入橋東詰めに在る新田入口バス停から1km先の今宿バス停までバスを利用、バス停から東に140m進んで小出川に架かる下町屋橋を渡ると右手に在ります。説明案内によると、関東大震災と翌年の大地震の際に、小出川沿いの水田から7本の木柱が出現、今で云う液状化現象の仕業で柱を残して地面が沈下したものです。檜の橋杭が計10本確認され、其の配置は、2m間隔の3本1列の橋脚が10m間隔で4列に並んだもので、橋全体の幅は約7mと推定されています。冒頭に書いた様に、源頼朝の家来であった稲毛重成が亡き妻(北条政子の妹)の供養の為に相模川に架けた橋です。本物の橋脚は保護ピットで覆われて保存され、其の上にレプリカが展示されています。此の橋が確認された事により、中世における相模川は現在よりも東側を流れていて、氾濫や地震による流路の変遷を経て現位置へ移動したものと推定されました。所在:茅ヶ崎市下町屋1-3。




相模川に戻り、左岸側は何もないので右岸沿いに進みます。馬入雨水排水樋管の後ろに教会が見えます、ホテルサンライフガーデンのチャペルですね。270m程進むと、渡し跡の碑が在ります。江戸時代に幕府は河川に橋を架ける事を禁じ、渡しによる渡河に限られ、相模川にも60以上の渡し場が在りました。此処の場所は東海道を繋ぐ、馬入の渡しが在った場所です。碑の後ろに富士山が入るように撮ったけど、送電塔が邪魔だね。渡し碑の先に見える銀色の体育館は2004年(H16)完成の、ひらつかアリーナです。背後から爆音、見上げると初めて見る機体が通過して行きます、ググルとRC-135Wリベットジョイントでアメリカ空軍の偵察機、カッチョ良いね。沖縄の嘉手納基地から飛来して、此処から北東15km程の厚木基地へ降りる様です。此処は飛行機の通り道で海上自衛隊のヘリ、オスプレイも飛んでいますね。ブロブロとヘリよりも低いエンジン音ですが、そんなに五月蠅く無いね。




ひらつかアリーナから200m程先の河川敷がピンクに彩られています、馬入お花畑との表示が有りポピーが満開です。土手には風に靡く銀色の穂が綺麗なチガヤ、今日はスボンが黒なので横切らないよ、綿毛が服にまとわり付いて取るのが大変だからね。ムラサキツメクサも沢山見られます、シロツメクサとは別物です。ムラサキツメクサは花の直ぐ下に葉が在り、シロツメクサは葉が無く、首が長いので判ります。黄色いのは、なんちゃってタンポポのブタナ、茎から1本でなく複数の花が咲きます。




馬入花畑から1.5km程進むと馬入橋の上流2.4kmに架かる斜張橋、『#04湘南銀河大橋』が見えて来ます。相模川左岸の高座郡寒川町田端と右岸の平塚市四之宮とを結び、神奈川県道44号伊勢原藤沢線が通ります。湘南新道橋として完成し、橋の名称は公募により湘南銀河大橋に決定、1998年(H10)の優秀な建設事業の道路部門として、全建賞を受賞しています。橋から右岸方向に富士山が良く見えますよ。





 名称:湘南銀河大橋
 構造種別:3径間連続鋼斜張橋
 河口からの距離:4.3km
 橋の長さ:520.3m
 有効幅員:20.5m
 完成:1996年(H8)



湘南銀河大橋の西詰めから右岸沿いに370m進むと、四之宮の渡し跡が在ります。対岸に在る飛び地に開いた農地を耕作する為に独自に設けた渡し場で、1955年(S30)まで使用され其の後廃止されています。右岸沿いは此の先、神奈川県下水道公社とか、湘南銀河大橋ゴルフ練習場しかないので平行する一般道で遡上します。


四之宮の渡し跡から西に400m程で前鳥神社が在ります。創建は不詳、神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川に接する自然堤防の南端に在り、此の地形名からの由来と云われています。1873年(M6)に郷社へ列格。明治の頃に村内日枝神社の祭神であった大山咋命を合祀、1986年(S61)に日本武尊を合祀しています。祭神:菟道稚郎子命、大山咋命、日本武尊、所在:平塚市四之宮4-14-26。鳥居は1935年(S10)、狛犬は1982年(S57)、脇鳥居前の狛犬は1983年(S57)の建立です。










次に行く寺院までは約2km、歩き疲れて来たので西200m程にバス路線が在るので利用します。NAVITIMEで現在地を指定すると、近くのバス停、路線、時刻表が判り重宝しています。前鳥神社から南西400mにバス停・大念寺前が在り、目の前に浄土宗寺院の大念寺が在ります。バスが来るまで時間が有るので序に紹介します。明暦(1655~1657年)の初め、代々後北条氏に仕えていた佐藤出雲守信辰が本蓮社源譽哲道を請じ、堂宇を建立したのが始まりで、開基は佐藤出雲守信辰と云われています。山号:見光山、院号:眼性院、本尊:阿弥陀如来像、所在:平塚市四之宮5-3-36。




6個目のバス停・駒返橋で下車、傍に高野山真言宗寺院の常勝寺が在ります。高野山無量壽院の末寺で、創建は不詳、宥雄による開山と云われています。山号:宝憧山、本尊:地蔵尊、所在:平塚市田村5800。


バス停脇に田村駒返橋跡の碑が在り、隣に庚申供養塔と解説板が在ります。其れによると、家康が鷹狩に来た時、大雨の後で道がひどく悪かった為、田村の人々が畳を出して通行の便宜を図ったので、家康は田村の人達の苦労を慮って馬を返したと云われている場所です。碑の左先に臨済宗建長寺派寺院の妙楽禅寺が在ります。鎌倉建長寺の末寺で、開基は足利基氏、開山は鎌倉五山学僧の義堂周信で、1404年(応永11)に足利満兼が祈願所としており、徳川家康から寺領10石の朱印状を、また、徳川家綱からも10石が寄進されたと云われています。山号:祥雲山、本尊:千手観音像、所在:平塚市田村5-13-2。




妙楽禅寺の北200mに日蓮宗寺院の貞性寺が在ります。創建は不詳、鎌倉妙本寺の末寺で日久により開山、日喜が中興したと云われています。山号:大龍山、本尊:三寶尊、所在:平塚市田村5-21-26。


貞性寺から西に400m程進むと湘南銀河大橋から2.4km上流の位置に、今回終着地点の『#05神川橋』が架かっています。相模川左岸の高座郡寒川町一之宮と右岸の平塚市田村とを結び、県道47号藤沢平塚線が通ります。かつて、田村の渡し場が在った場所で、右岸下流側に碑が在ります。創架は1953年(S28)で橋の幅員は狭く、其の後の交通量増加に伴う渋滞の為、現在の橋に架け替えられました。橋名は右岸側の旧地名の中郡神田村と、左岸側の寒川町から一文字ずつ取っています。此の先4km程は途中に新幹線橋梁が架かり、対岸への移動が制約されるので左岸側の名処等を先撮りしながら、相模川に略平行するJR相模鉄道で帰宅します。





 名称:神川橋
 構造種別:4径間連続PCラーメン箱桁
 河口からの距離:6.7km
 橋の長さ:493m
 有効幅員:12m
 完成:1992年(H4)



>>>後書き<<<
次回は神川橋から遡上して、JR東海道新幹線相模川橋梁までの紹介です。

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  1. 2016/07/27(水) 12:00:00|
  2. 相模川

Scene-281 相模川『湘南大橋、JR東海道本線馬入川橋梁』


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次回アップ予定:Scene-282 相模川『馬入橋、湘南銀河大橋、神川橋』(07/27 12:00)
[Vol-1] 今回から『ぶらっと遡上探索』の第14弾、相模川水系のメインである相模川編のスタートです。相模川は富士五湖の一つである南都留郡の山中湖を水源とし、富士山北麓の水を集めながら富士吉田市、都留市、大月市、相模原市の相模湖と津久井湖のダム湖を経て、厚木市から平塚市・茅ケ崎市の境付近で相模湾に流れ込む河川で流路延長は109kmです。前回の日本橋川は超短い川なので5話で終わりましたが、今回は、荒川、多摩川に次ぐ長さなので、終盤へ辿り着くまで何話になるか見当がつきません、寒くなる1月前には完走したいですね(笑)。


今回は相模川河口から遡上して、湘南大橋、JR東海道本線馬入川橋梁までの紹介です。河口に一番近い駅はJR東海道本線の平塚駅なので自宅から川崎駅経由、約90分で到着、少し遠いね。先ずは駅中の「いろり庵きらく」で、冷やし天婦羅蕎麦を注文してエネルギー補給完了です。


では、恒例の河口0km標識探しから始めますか。駅から河口までは2.1km、無駄に歩くのは辛いので相模川下流から引き込んだ須賀港に行く神奈中バスが有るのでショートカットします。須賀港は自然に出来た港でしたが、1950年(S25)に整備された堀込み式漁港になっています。港の入口左、須賀港バス停の前に港稲荷神社が在ります。社標柱に遷座1988年(S63)の記載があり、かつて付近に在った複数の稲荷講が此の時期に合祀した模様です。祭神:宇迦之御魂命、所在:平塚市千石河岸64。




須賀港の入口から見る相模川、河口の川幅は800m程で流れの幅は略半分、浮遊ゴミも無く綺麗です。下流方向に此れから渡る第一橋梁の湘南大橋が見えますね。少し進むと堤防上に河川距離標識発見、0.6kmです。傍に堤防が切られて川岸に降りられるスロープが在り、出入口に1992年(H4)竣工の千石河岸防潮ゲートが付いています。では、600m下流の右岸河口0km地点へ行きます。




600m程進むと平塚新港が在り西方向に富士山も見えます。漁港の堤防上に黄銅の鋲が見えますね、近付いて見ると公共基準点と彫られています。0km標識とはチョット違うね!残念でした。左岸側にも行って見ましょう。其の前に海岸を散策、風が強くて波が高いけど青い海に青空、良いね。東方向に江の島も見えます、江の島と云えば弁当泥棒のトンビが有名で此処の海岸にも来ていますね。昼用のお握り、買ってあるけど、此処では危なくて食べられないね(笑)。






防波堤の波が被り海苔が生えている場所に、初めて見る野鳥が群れています。三毛猫みたいな模様だね、帰宅してからググルとキョウジョシギ(京女鷸)と云うチドリ目シギ科の鳥で、和名は、斑模様を京都の女性の着物に例えて付けられたそうです。


『#01湘南大橋』を渡って左岸側に行きます。湘南大橋は相模川左岸の茅ヶ崎市柳島と右岸の平塚市千石河岸に架かり、国道134号が通ります。「かながわの橋100選」の34番です。創架は1936年(S11)のRCゲルバー桁橋で、現在の橋は2代目。其の後の渋滞緩和を目的に、上り線橋梁が上流側に並んで架けられました。橋の上から富士山が綺麗に見えますね、手前に写る塔は平塚テレビ中継局の送信塔です。上流左岸側には小出川(流路延長11.05km)が流れ込み、ゴルフ場になっており見処も無いので、右岸側に戻ります。あっ、其の前に左岸河口の0km探索でしたね(笑)。







 名称:湘南大橋
 構造種別:9径間箱桁
 河口からの距離:0.4km
 橋の長さ:698m(下り線)、696.7m(上り線)
 有効幅員:11.5m(下り線)、10.5m(上り線)
 竣工:1986年(S61)下流側(下り線)
 竣工:2010年(H22)上流側(上り線)


湘南大橋の据付け橋を含めると約800mを渡って左岸側に降ります。下流側に柳島下水終末処理場が在り、屋上が柳島しおさい公園になっています。堤防沿いに進むと灌漑用水の松尾川水路排水樋管が見え、其の先に「さがみ川0.0>」と路上にペイントされています。近くまで行くと足元注意の看板、足元に標識鋲が埋められています、親切だね。てっ、其れ別の意味ですよ(笑)。0.0kと刻まれていて、間違いなく相模川0km標識です。相変わらず波は高く、沖では大きい波待ちのサーファーが見えます。海辺を見ながら暫し休憩してから、右岸側に戻ります。






右岸側据付け橋を降りて北西400m程に、浄土宗知恩院末の海寶寺が在ります。1579年(天正7)貞雲による開山と云われています。山号:常圓山、院号:智光院、本尊:阿弥陀如来像、所在:平塚市幸町26-21。相模新西国三十三観音霊場巡りの16番です。本堂が修復中なので入場パス、外からパチリです。


海寶寺の北100mに高野山真言宗寺院の長楽寺が在ります。境内の由緒案内によると、開山は1185年(文治1)頃、僧鎮海が草庵を建て海詠庵とし、1215年(建保3)に僧朝秀が庵号を海詠山として中興開山したと云われています。高野山金剛峰寺の直末寺で弘法大師が泊宿されたと伝える古刹です。山号:海詠山、院号:聖無動院、本尊:薬師瑠璃光如来像、所在:平塚市札場町15。四臂(四手)青面金剛と二猿は神奈川県に7基しかない珍しい庚申塔で、県の有形民俗文化財に指定されています。湘南ひらつか七福神の寿老尊、相模薬師霊場の11番札所です。




長楽寺前の道を北に80m程進むと、仁王門が見えます。高野山真言宗寺院の乗蓮寺で、創建は不詳。仁王門前には珍しい石造の仁王像が建っています。長楽寺の別当であった三島神社に在った事が判っており宝暦(1751~1764年)頃の作と云われています。山号:花翁山、院号:観音院、本尊:十一面観世音菩薩像、所在:平塚市札場町15-2。相模新西国三十三観音霊場巡りの17番です。




乗蓮寺前の道を200m程進むと左手に御宇気神社が在ります、地図上では港稲荷神社になっています。創建は不詳、かがんで入る小さな鳥居の先は木々に覆われ鬱蒼とした場所で、木洩れ日に浮かぶ拝殿が神秘的です。祭神:妙徳稲荷大神、宇気母智神、木曽御嶽大神、国常立尊など、所在:平塚市札場町39-18。




御宇気神社から北東150mの相模川沿いの遊歩道へ出ます。100m程進むと、久領雨水排水樋管が見えます。樋管の先には河川敷に車が沢山止まっていますね、近くに在る平塚競輪場用のパーキングです。競輪はレース展開を読むのが難しく玄人向けのギャンブルなので、手を出しません。競輪場の北に見える煙突は、三興製鋼で棒鋼(鉄筋)のメーカーです。岸辺に黒っぽい鳥がいます、逆光でよく見えませんが嘴が白いのでオオバンですね、近付いたら逃げられましたよ。


川沿いに300m程進むと、今回終着地点の『#02 JR東海道本線馬入川橋梁』ですが、線路の反対側に真宗大谷派寺院の真福寺が在るので、先に紹介します。入口の由緒案内によると、1525年(大永5)に諸国行脚の僧釈善秀による開山と伝えられています。山号:帰命山、院号:無量院、本尊:阿弥陀仏絵像、所在:平塚市馬入本町14-10。


真福寺から東に150m進むと相模川で『#02 JR東海道本線馬入川橋梁』が3橋梁架かっています。下流側から、東海道本線の下り線、上り線、貨物線です。馬入川は言い忘れましたが、昔の相模川の名称で、東海道本線馬入川橋梁両岸の地名(馬入)でもあります。創架は1883年(M16)の木造トラス橋で、1887年(M20)に横浜駅~国府津駅間の開業に合わせて単線の鉄橋に架け替えられ、1898年(M31)には複線化されています。其の後、関東大震災で壊滅的なダメージを受け、1926年(T15)に横浜駅~国府津駅間が電化開通されており、同時期に複線橋梁と貨物線橋梁が架けられたものと推定、1928年(S3)に辻堂駅~平塚駅間が複々線化されており、同時期にPC桁橋が架けられたものと推定します。記事が長くなり過ぎましたので、一旦此処で終わりますね。





 名称:JR東海道本線馬入川橋梁
 構造種別:28径間PC桁(下り線)、28径間鈑桁(上り線、貨物線)
 河口からの距離:1.8km
 橋の長さ:約645m
 軌道:単線(下り線)、複線(上り線)、単線(貨物線)
 完成:1928年(S3) (下り線)推定
 完成:1926年(T15) (上り線&貨物線)推定


>>>後書き<<<
次回は東海道本線馬入川橋梁から遡上して、馬入橋、湘南銀河大橋、神川橋までの紹介です。

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  1. 2016/07/23(土) 12:00:00|
  2. 相模川

Scene-280 日本橋川の纏め (日本橋川に架かる橋 31、亀島川に架かる橋 5)



■日本橋川(流路延長5km)に架かる橋梁(河口順)。絵をクリックすると、其々の掲載Sceneへリンクします(計5話)。

『#01豊海橋』               『#02湊橋』』                 『#03湊橋水管橋


『#04 NTT茅場橋専用橋』        『#05茅場橋』                『#06鎧橋』


『#07江戸橋水管橋』           『#08江戸橋』               『#09日本橋』


『#10西河岸橋』              『#11一石橋』               『#12常盤橋』


『#13新常盤橋』              『#14 JR東北・上越新幹線橋梁』   『#15 JR在来線橋梁』


『#16 NTT鎌倉橋専用橋』        『#17鎌倉橋』                『#18神田橋』


『#19東京ガス専用橋』          『#20錦橋』                 『#21一ツ橋』


『#22雉子橋』                『#23宝田橋』               『#24俎橋』


『#25南堀留橋』              『#26堀留橋』                『#27新川橋』


『#28あいあい橋』             『#29新三崎橋』              『#30JR小石川橋通架道橋』


『#31三崎橋』




■亀島川(流路延長1km)に架かる橋梁(河口順)。

『#01南高橋』               『#02高橋』                 『#03亀島橋』

『#04新亀島橋』              『#05霊岸橋』




>>>後書き<<<
日本橋川は短編なのでブログスペースが沢山出ましたけど、料理ストックの在庫整理に丁度良いね(笑)。
1番手は初登場のズッキーニ、95円でした。外観は胡瓜に似ていますが南瓜の仲間、味は茄子に似ているので肉詰め焼きにしました。先ずは、冷凍豚バラを5mm角に刻み放置、ズッキーニを縦割りにして、スプーンで5mm程皮を残してボートを作ります。此処でズッキーニを味見、苦く無ければOK。偶に苦味が強いズッキーニが出来る場合が有り、ハズレで食中毒になるので食べない方が良いですヨ。外した身と大葉を刻んで豚バラと合体、味付けは塩胡椒と味噌少量、豚バラから解凍の水分が出てきたらパン粉を混ぜて掻き混ぜます。ボートに盛り付けて、ピザ用チーズを塗してからオーブンで、250℃22分で焼き上げて完成。ズッキーニの甘さと豚肉の歯応えが良いね。鶏の唐揚げは自分で作った方が経済的で、旨いので良く揚げます。味醂、酒、大蒜チューブに薄めた蕎麦汁に30分程漬け込んでから、水気を切って片栗粉を塗して揚げます。序にピーラーで長めに剥いた牛蒡もポリ袋の中でシャカシャカして片栗粉を塗し、菜箸で寄せ固めながら1分揚げ。サクサクの食感が良く、ビールに合います。残りは、刻んで炒飯の具行きです。


エリンギと鶏胸肉のガーリック炒め、肉の様な歯応えのエリンギが好きだな、ベッドはベビーリーフです。残りは毎度の炒飯行き、ベッドは空芯菜のスプラウト。麻婆豆腐も好きで良く作ります、丸美屋の中辛が好きで台所の常備在庫で3箱は並んでいます。


牛カルビとスライス玉葱、エリンギを焼き、サンチュで巻いて戴きます、お供はビールですね。お買い得刺身パックを漬けにして、サッパリ茶漬けです。炒り胡麻と韓国海苔、良い組み合わせになりました。夏場に多く登場する冷やし中華、ベーコンに蒲鉾、トマトと葉っぱ、簡単ですが満足できますね。


最後は空芯菜のスプラウトシリーズ。鰺の唐揚げが残ったので冷やし蕎麦に、オクラスライスに空芯菜スプラウトなどをトッピング。空芯菜スプラウトのサラダも旨いね、海老塩焼きはオーブンでカリカリに殻ごと食べてやります、ワイルドだろ~(笑)。空芯菜スプラウトと、かき玉子のスープもイケテます。御飯のお供はシラス納豆に大葉パラパラです。


次回から『ぶらっと遡上探索』の第14弾、相模川編(流路延長109km)がスタートします。本ブログでは3番に長い河川です。何時もの様に河川に架かる橋梁や、近在の寺社名所などを紹介しながら遡上していきますので、引き続きご覧願います。
次回アップ予定:Scene-281 相模川『湘南大橋、東海道本線馬入川橋梁』(07/23 12:00)

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  1. 2016/07/19(火) 12:00:00|
  2. 日本橋川に架かる橋031

Scene-279 日本橋川最終回『堀留橋、新川橋、あいあい橋、新三崎橋、JR小石川橋通架道橋、三崎橋』


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次回アップ予定:Scene-280 日本橋川の纏め (日本橋に架かる橋31) (07/19 12:00)
今回は南堀留橋から遡上して、堀留橋、新川橋、あいあい橋、新三崎橋、JR小石川橋通架道橋、三崎橋までの紹介で、『ぶらっと遡上探索』日本橋川編の最終回です。先ずは、南堀留橋の上流120mに架かる『#26堀留橋』から始めます。日本橋川左岸の千代田区西神田と右岸の千代田区九段北・飯田橋とを結び、一般道が通ります。江戸時代に神田川が開削されると、日本橋川は三崎町の分岐地点から、此の堀留橋付近までは埋め立てられて、いわゆる堀留になっていた場所です。明治に元の流れに開削され、関東大震災の復興事業として架けられた橋です。左岸側に傳蔵地蔵尊が建っています、現在の橋を架ける際に、傳蔵さんなる頭領が工事の安全祈願として地蔵尊を此の場所に祀った物だと云われています。橋の下をクルージング船が航行しています、日本橋から乗船して、日本橋川・神田川・隅田川をぐるりと周回するコースなど、色々あるそうですよ。此の船はジールの海音号です。客が乗っていないので、此れから日本橋へ向かうみたいですね。





 名称:堀留橋
 構造種別:1径間RCアーチ
 河口からの距離:4.3km
 橋の長さ:25.6m
 有効幅員:27.5m
 完成:1926年(T15)



堀留橋の上流100m程に架かるのが『#27新川橋』で、日本橋川左岸の千代田区西神田・三崎町と右岸の千代田区飯田橋とを結び、一般道が通ります。此の橋も日本橋川が再開削された後に、関東大震災の復興事業として架けられた橋で、新しくなった川に架けられたので新川橋と命名されています。





 名称:新川橋
 構造種別:3径間鈑桁
 河口からの距離:4.4km
 橋の長さ:27m
 有効幅員:10.5m
 完成:1927年(S2)



新川橋の上流170mに架かるのが『#28あいあい橋』で、日本橋川左岸の千代田区三崎町と右岸の千代田区飯田橋とを結ぶ、人道専用橋です。右岸側に在った、JR貨物操車場跡の再開発事業において架けられました。橋名は地域住民の公募により決定しています。



 名称:あいあい橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:4.6km
 橋の長さ:約30m
 有効幅員:約3m
 完成:2001年(H13)



あいあい橋右岸側から南西300m程に白菊稲荷神社が在ります。1926年(T15)此の辺りに住んでいた越後村松出身の呉服商・斉藤三郎氏が、五穀豊穣を願って伏見稲荷大社から宇迦之御霊魂神を勧請し、祠を建立したのが始まりと云われています。築土神社(前回紹介)の境外末社です。祭神:倉稲魂命、所在:千代田区飯田橋1-1-16。入口が判り難い場所で、裏側の暁星小学校まで行ってしまいウロウロ、門前におられた学校の警備員さんに聞きました。


白菊稲荷神社前の道を西に150m程進むと、東京大神宮が在ります。境内に入ると女子で混雑しています、何か入り難いね。日本で初めて神前結婚式が執り行なわれた場所で、縁結びに御利益のある神社としても知られ、東京一有名な恋の神社だそうです。でも、こんなに沢山来られると神様も大変だね(笑)。境内の由緒案内によると、東京大神宮は東京における伊勢神宮の遥拝殿として1880年(M13)に有楽町の大隈重信邸跡に創建し、最初、日比谷の地に鎮座していた事から、「日比谷大神宮」と称されていました。1928年(S3)現在地に遷座してからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、1946年(S21)に宗教法人東京大神宮と改めています。祭神:天照皇大神、豊受大神、相殿:天之御中主神、神御産巣日神、神産巣日神、倭比売命、所在:千代田区富士見2-4。




日本橋川に戻り、あいあい橋の上流200mに架かるのが『#29新三崎橋』です。日本橋川左岸の千代田区三崎町と右岸の千代田区飯田橋とを結び、一般道が通ります。創架は日本橋川が再開削された後の木橋で、其の後の1926年(T15)架橋にRC橋を経て、現在の桁橋になっています。



 名称:新三崎橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:4.8km
 橋の長さ:28.3m
 有効幅員:11.2m
 竣工:2002年(H14)



新三崎橋の上流隣に『#30 JR小石川橋通架道橋』が2つ架かっています。下流側に架かるのが、中央急行線が通る鈑桁、上流側が中央・総武線(各駅停車)が通るトラス橋で、両端の鈑桁を含むと76.6mの長さです。トラスは1904年(M37)に架けられたドイツ製で、未だに健在なのが凄いね。



 名称:JR小石川橋通架道橋
 構造種別:1径間鈑桁(急行線)
 構造種別:1径間上路ワーレントラス(緩行線)
 河口からの距離:4.8km
 橋の長さ:23.1m(急行線)、25.4m(緩行線)
 軌道:複線
 完成:急行線1932年(S7)、緩行線1904年(M37)


JR小石川橋通架道橋の上流隣に架かるのが、日本橋川の終着地点になる『#31三崎橋』です。此の橋も日本橋川左岸の千代田区三崎町と右岸の千代田区飯田橋とを結び、一般道が通ります。当初の架橋は車道部のみで、歩道部分は後から橋の両側に新設されています。橋の東100m程にJR水道橋駅が在るので、此処から帰宅します。オ・ワ・リ...





 名称:三崎橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:4.8km
 橋の長さ:27m車道部、33.6m歩道部
 有効幅員:6.9m車道部、2.1m×2歩道部
 完成:1954年(S2)車道部、1987年(S62)歩道部



>>>後書き<<<
日本橋川の上を首都高速が覆っている関係で、全体的に暗い絵面になりましたが、江戸の歴史的な勉強にもなり結構楽しめましたね。暗い絵面の代わりに、明るい絵を載せます、近くの修景池の蓮です。今年の開花は少し遅れているみたいです、暖冬の影響かもしれませんね。




修景池に咲く約30種類の蓮はScene-39の後書きに一覧で載っていますので、此方もどうぞ。


次回は日本橋川と亀島川に架かる橋の纏めで、次弾の遡上予定は相模川です。源流の山中湖まで約110kmあるので、寒くなる12月までに完走出来るかな?(笑)

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  1. 2016/07/15(金) 12:00:00|
  2. 日本橋川

Scene-278 日本橋川『東京ガス専用橋、錦橋、一ツ橋、雉子橋、宝田橋、俎橋、南堀留橋』


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次回アップ予定:Scene-279 日本橋川最終回『堀留橋、新川橋、あいあい橋、新三崎橋、JR小石川橋通架道橋、三崎橋』(07/15 12:00)
今回は神田橋から遡上して、東京ガス専用橋、錦橋、一ツ橋、雉子橋、宝田橋、俎橋、南堀留橋までの紹介で、神田橋の上流350mに架かる『#19東京ガス専用橋』からの紹介です。日本橋川左岸の千代田区神田錦町と右岸の千代田区大手町との間に位置し、φ400程のガス管が渡されています。桜が咲いていた時に、寄った絵がありましたので其れを載せます。



 名称:東京ガス専用橋
 構造種別:1径間三弦トラス
 河口からの距離:3.1km
 橋の長さ:約32m
 有効幅員:約1m
 完成:不明



東京ガス専用橋の上流30m程に架かるのが『#20錦橋』で、日本橋川左岸の千代田区神田錦町と右岸の千代田区大手町とを結び、一般道(明大通り)が通ります。両端のアーチが半切れの珍しい3連アーチですね。橋名は左岸地区の町名や、此の一帯の河岸名称であった錦河岸に由来しています。



 名称:錦橋
 構造種別:3径間RCアーチ
 河口からの距離:3.1km
 橋の長さ:33m
 有効幅員:34m
 完成:1927年(S2)



錦橋の上流180mに架かるのが『#21一ツ橋』で、日本橋川左岸の千代田区神田錦町・一ツ橋と右岸の千代田区大手町・一ツ橋とを結び、都道301号白山祝田田町線が通ります。橋の袂に立つ由来案内によると、徳川家康が江戸城に入った頃には、此の場所に丸太の一本橋が架かっており、橋名の由来と伝えられています。橋の両端は石垣の土台(橋脚)ですが流路が造られていますね、中央部の鈑桁を架ける際に川の流れを確保したのか、石造りアーチの予定が鈑桁に変更されたのかは判りません。



 名称:一ツ橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:3.3km
 橋の長さ:30.8m
 有効幅員:28m
 竣工:1925年(T14)



一ツ橋の上流330m程に架かるのが『#22雉子(きじ)橋』です。日本橋川左岸の千代田区一ツ橋と右岸の千代田区一ツ橋・九段南とを結び、一般道が通ります。橋の袂に立つ由来案内によると、唐国からの勅使をもてなす為には雉子に勝る好物なしとして、諸国から雉子を集めた鶏屋を作り、雉子屋の畔に在ったのが此の橋で、雉子橋と呼ばれていたとの事です。先代の橋は、1903年(M36)架橋の鉄橋でした。





 名称:雉子橋
 構造種別:1径間鋼アーチ
 河口からの距離:3.6km
 橋の長さ:34.4m
 有効幅員:27.3m
 竣工:1925年(T14)



雉子橋左岸側から北200m程に妙法衛護稲荷神社が在ります。創建は不詳だが、元々は大名・小出家の屋敷神と伝えられており、明治に入り此の地域が町家となった時に、捨て置かれて祠だけが残されたが、地域住民が改めてお祀りした神社と云われています。祭神:稲荷神、所在:千代田区神田神保町3-29。


日本橋川に戻り、雉子橋の上流340mに架かるのが『#23宝田橋』で、日本橋川左岸の千代田区神田神保町と右岸の千代田区九段南とを結び、一般道(小竹通り)が通ります。創架は、関東大震災後の復興事業として1929年(S4)に木橋が架けられました。何故、木橋かと云うと、財政難と早期架橋の要望があったからで、橋名は江戸時代の地名の宝田村からの命名です。





 名称:宝田橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:3.9km
 橋の長さ:27m
 有効幅員:8.2m
 竣工:1968年(S43)



宝田橋の上流150mに架かるのが『#24俎(まないた)橋』、難しい名前で橋に読みが付いて無いと判らないね。因みに俎という漢字は、偏が「肉」、つくりが「台」を示す字で、肉を調理する台という意味を持つそうで、まな板には真魚板や真菜板もあります。俎橋は、日本橋川左岸の千代田区神田神保町と右岸の千代田区九段南・九段北とを結び、都道302号新宿両国線(靖国通り)が通ります。先代の橋は、1929年(S4)に関東大震災後の復興事業として、架けられたRCアーチ橋でした。





 名称:俎橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:4.1km
 橋の長さ:30.8m
 有効幅員:42m
 完成:1983年(S58)



俎橋右岸から西250m程に築土神社が在ります。境内の由緒案内によると、940年(天慶3)平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り、津久土明神と称したのが始まりで、其の後、飯田町に近い田安に遷座し田安明神と称しました。1616年(元和2)には牛込門外の筑土山(現新宿区筑土八幡町2番地)に遷座して筑土明神となり、1874年(M7)に筑土神社と改称。1954年(S29)に九段中坂の世継稲荷神社境内、即ち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しています。祭神:天津彦火邇々杵尊、相殿:平将門公、所在:千代田区九段北1-14-21。境内社:世継稲荷神社、天満宮大鳥神社。旧狛犬は1780年(安永9)に奉納されたもので区内最古の狛犬です。






日本橋川に戻り俎橋の上流130mに架かるのが、今回終着地点の『#25南堀留橋』です。日本橋川左岸の千代田区神田神保町・西神田と右岸の千代田区九段北とを結び、一般道が通ります。江戸時代初期には、此処から上流が埋め立てられ、現在の様に神田川と接続されたのは1903年(M36)で、南堀留橋は関東大震災後の復興事業として、1928年(S3)に創架されています。





 名称:南堀留橋
 構造種別:3径間鈑桁
 河口からの距離:4.2km
 橋の長さ:26.4m
 有効幅員:11m
 完成:1928年(S3)



>>>後書き<<<
ブログスペースが余ったのでアレです(笑)。暑い時はサッパリ系が良いですね、なので冷汁にしました。鯖味噌缶を使って、冷した御飯に胡瓜のスライス、ガリ、レモンの皮、胡麻、冷水を振り掛けるだけ、レモンの皮が良いアクセントになり食が進みます。残りの缶詰は、ゴマダレ冷やし中華の具として始末です。肉も食べないとね、ローストビーフにポン酢と生姜おろし、ビールに合うね。


スタミナを付けるには豚肉だよね、豚ヒレのしょうが焼き。御飯に合うね。残りは刻んで豚肉炒飯です。シチューも意外と御飯に合います、葉っぱも添えてクリームシチューライス、イケテます。


簡単に出来るのでよく作るのがベーコンにキャベツと獅子唐炒め、最後に卵を掻き混ぜて完成。残ったら拉麺の具に、暑い時に食べる熱い拉麺、汗が止まりません(笑)。暑い時のカレーも良いね、フワトロ玉子を乗せるとマイルドになります。


次回は南堀留橋から遡上して、堀留橋、新川橋、あいあい橋、新三崎橋、JR小石川橋通架道橋、三崎橋までの紹介で、早くも『ぶらっと遡上探索』日本橋川編の最終回です。

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  1. 2016/07/11(月) 12:00:00|
  2. 日本橋川

Scene-277 日本橋川『一石橋、常盤橋、新常盤橋、東北・上越新幹線橋梁、JR在来線橋梁、NTT鎌倉橋専用橋、鎌倉橋、神田橋』


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次回アップ予定:Scene-278 日本橋川『東京ガス専用橋、錦橋、一ツ橋、雉子橋、宝田橋、俎橋、南堀留橋』(07/11 12:00)
今回は西河岸橋から遡上して、一石橋、常盤橋、新常盤橋、東北・上越新幹線橋梁、JR在来線橋梁、NTT鎌倉橋専用橋、鎌倉橋、神田橋までの紹介です。西河岸橋の上流160mに架かるのが『#11一石(いっこく)橋』です。日本橋川左岸の中央区日本橋本石町と右岸の中央区八重洲・千代田区大手町とを結び、都道405号外濠環状線(外堀通り)が通ります。江戸時代には此の辺りで江戸城の外濠に直結していましたが、現在は一石橋右岸方向(南)に在った外濠が埋め立てられ、現在の日本橋川の流路が形成されています。右岸橋詰に「迷子しらせ石標」と説明板が立っています、江戸自体後半は此の辺りから日本橋にかけては盛り場で、迷子も多かったらしい。当時は町内が責任をもって保護する様に決められており、迷子探しの告知石碑が立てられました。左側面に迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、其れを見て心当たりがあれば、其の旨を書いた紙を右側面に貼ると云うシステムです。歴史資料として都の有形文化財に指定されています。





 名称:一石橋
 構造種別:2径間鈑桁
 河口からの距離:1.8km
 橋の長さ:60.8m
 有効幅員:27.2m
 完成:2001年(H13)



一石橋左岸側から北70m程に貨幣博物館が在ります。日本銀行創立100周年を記念して1985年(S60)に開館した博物館で、国内外で流通した年代別の紙幣・硬貨などが展示されています。正式名称は日本銀行金融研究所貨幣博物館で、入場は無料、休館日は月曜日と年始年末。古銭や小判に金貨、流通紙幣の発番記号AA000001Aなど興味深い物が展示されていて面白かったです。所在:中央区日本橋本石町1-3-1。展示室内は残念ながら撮影禁止、お土産コーナー横に1億円パックが置いて在ります、勿論中身は偽物で、大きさと重さだけ体感出来ます(笑)。お土産に、お札せんべいを購入。因みに我が家の、お宝で一番高いのは昭和天皇陛下御即位記念10万円金貨、希少品は地方自治60年1000円銀貨の「岩手県24年」で、ウィーンで開かれた世界造幣局長会議のコイン・コンペティションで、「最も美しい貨幣」の受賞記念に1万枚が追加発行された奴で、倍率43倍で当選したものです。




貨幣博物館の前の建物が、1896年(M29)竣工の日本銀行本店です。国の重要文化財、東京の建築遺産50選に指定されています。所在:中央区日本橋本石町2-1-1。正面は木々で遮られて、判り難いデスね。手持ちの1986年(S61)に発行停止された旧千円札(伊藤博文)の裏側に描かれていましたので参考に載せます。


貨幣博物館の西側に一石橋の90m上流に架かる『#12常盤橋』が見えます。日本橋川左岸の中央区日本橋本石町と右岸の千代田区大手町とを結び、一般道が通ります。創架は1926年(S1)です。橋の上流右岸側に常盤橋公園が在りますが工事中で、近代経営の祖である「渋澤栄一像」だけ見られました。





 名称:常盤橋
 構造種別:2径間RCアーチ
 河口からの距離:1.9km
 橋の長さ:38.6m
 有効幅員:27m
 完成:1926(S1)



日本銀行の西側に常盤橋から90mの位置に、1877年(M10)に架けられた石造2連アーチの『常磐橋』が在るのですが、老朽化により来年まで解体復旧工事中です。現存する石橋では、都内で一番古く国の史跡に指定されています。創架は1590年(天正18)とも云われ、江戸でも最も古い橋で長さ17間(約31m)、幅6間(約11m)で、両国橋が架かるまでは江戸一の大橋だったそうです。因みに先程の下流の橋は常盤橋、此方は常磐橋で文字が異なります。


常盤橋の上流230m程に架かるのが『#13新常盤橋』で、日本橋川左岸の中央区日本橋本石町と右岸の千代田区大手町とを結び、都道407号丸の内室町線(江戸通り)が通ります。創架は1920年(T9)に路面電車の開通に合わせた、RC3連アーチでした。橋の側面を撮るポジションが見つかりませんね。



 名称:新常盤橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:2.1km
 橋の長さ:39.4m
 有効幅員:27m
 完成:1988年(S63)



新常盤橋の上流を塞ぐように架かるのが『#14 JR東北・上越新幹線橋梁』で、南600m程に在る東京駅まで東北新幹線が延長乗り入れたのが、1991年(H3)なので同時期の架橋と思われます。

 名称:JR東北・上越新幹線橋梁
 構造種別:3径間鈑桁
 河口からの距離:2.2km
 橋の長さ:約72m
 軌道:複線
 完成:1991年(H3)推定



東北・上越新幹線橋梁の上流隣に架かるのが『#15 JR在来線橋梁』で、手前から上野東京ライン、京浜東北線南行、山手線外回り、内回り、京浜東北線北行、中央本線が通る橋梁です。JR中央本線が1919年(T8)開通で同時期の架橋と推定、其の後に山手線や京浜東北線などが増設されています。在来線側は工事中で絵が撮れませんね。

 名称:上野東京ライン・京浜東北線・山手線・中央本線橋梁
 構造種別:1径間RCアーチ
 河口からの距離:2.2km
 橋の長さ:約72m
 軌道:8線
 完成:1919年(T8)推定



JR在来線橋梁の上流250m程に架かるのが『#15 NTT鎌倉橋専用橋』です。日本橋川左岸の千代田区内神田と右岸の千代田区大手町との間に位置し、NTT通信ケーブルなどが渡されています。

 名称:NTT鎌倉橋専用橋
 構造種別:1径間箱桁
 河口からの距離:2.5km
 橋の長さ:約35m
 有効幅員:約1m
 完成:不明



NTT鎌倉橋専用橋の上流隣に架かるのが『#16鎌倉橋』で、都道405号外濠環状線(外堀通り)が通ります。関東大震災の復興事業の一環として新たに架けられた橋で、徳川家康が江戸入城後に城壁や濠などの江戸城改修が行なわれ、川筋には鎌倉からの石材が陸揚げされるようになり、付近は鎌倉河岸と呼ばれ、橋名の由来になっています。



 名称:鎌倉橋
 構造種別:1径間RCアーチ
 河口からの距離:2.5km
 橋の長さ:30.1m
 有効幅員:22.6m
 完成:1929年(S4)



鎌倉橋の上流230mに架かるのが、今回終着地点の『#17神田橋』です。日本橋川左岸の千代田区内神田・神田錦町と右岸の千代田区大手町とを結び、一般道(日比谷通り)が通ります。先代の橋は木橋で、1923年(T12)の関東大震災で焼失し、震災復興事業で初めて鋼製の桁橋に架け替えられています。橋名は、北側一帯の地名である神田からの命名です。橋の両端が首都高速神田橋ランプの出入り口なので、側面からの絵が撮れませんね。



 名称:神田橋
 構造種別:3径間鈑桁
 河口からの距離:2.5km
 橋の長さ:36.7m
 有効幅員:33m
 完成:1980年(S55)



日本橋川は短い距離なので1日で完走出来ると思っていましたが、亀島川に架かる橋や少し遠い寺社などに寄った関係で、陽が陰り出しタイムアップです。なので、近くを走る東京メトロ千代田線の大手町駅から帰宅します。神田橋から右岸側南西280m程に平将門の首塚が在り、大手町駅方向なので序に寄ります。
将門塚は千代田区大手町にある史跡で、由緒案内によると、平将門が討ち取られ、首級が京都で晒されたものの、東国へ飛び去り武蔵国豊島郡芝崎(当地)へ落ち、村人により塚が築かれ埋葬されました。其の後、首塚は荒廃し、将門の御霊は怒り江戸の民に祟りをなす為、1307年(徳治2)に時宗二祖真教上人が江戸に行脚した折、将門に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、塚前に板石塔婆を立てて当地に在った日輪寺に供養、更に神田明神に霊を祀った事で将門の霊魂も鎮まり、此の地の守護神になったと云われています。所在:千代田区大手町1-2-1。


>>>後書き<<<
最近、不審メールの着信が増えているね、タイトルは巧妙で、○○銀行振り込み完了しました。宅配便集荷受付依頼完了。エアコンの修理見積もり受け取りました。などで必ずZIPファイルが添付されています。スパムメールなので、絶対に開いちゃダメですヨ。
次回は神田橋から遡上して、東京ガス専用橋、錦橋、一ツ橋、雉子橋、宝田橋、俎橋、南堀留橋までの紹介です。

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  1. 2016/07/07(木) 12:00:00|
  2. 日本橋川

Scene-276 日本橋川『NTT茅場橋専用橋、茅場橋、鎧橋、江戸橋水管橋、江戸橋、日本橋、西河岸橋』


This best shot
 

次回アップ予定:Scene-277 日本橋川『一石橋、常盤橋、新常盤橋、東北・上越新幹線橋梁、JR在来線橋梁、NTT鎌倉橋専用橋、鎌倉橋、神田橋』(07/07 12:00)
今回は湊橋水管橋から遡上して、NTT茅場橋専用橋、茅場橋、鎧橋、江戸橋水管橋、江戸橋、日本橋、西河岸橋までの紹介です。では、湊橋水管橋の上流260mに架かる『#04 NTT茅場橋専用橋』から紹介します。日本橋川左岸の中央区日本橋小網町と右岸の中央区日本橋茅場町との間に位置し、NTTの専用ケーブル類が渡されています。此の付近から日本橋川終端までは、川の流れを覆う様に頭上を首都高速道路が走り、青空が遮られてしまいます。なので、暗い橋の絵が続きますよ。因みに、此の首都高を地下に走らせて、日本橋川に青空を取り戻そうと云う運動が始まっています。5000億円以上は掛かるそうだけど、首都高は耐用年数から更新の時期でもあり、良いかもね。

 名称:NTT茅場橋専用橋
 構造種別:1径間箱桁
 河口からの距離:0.7km
 橋の長さ:約75m
 有効幅員:約1m
 完成:2012年(H24)



NTT茅場橋専用橋の上流隣に架かるのが『#05茅場橋』で、都道50号東京市川線(新大橋通り)が通ります。創架は1929年(S4)で、震災復興事業により架けられた桁橋でした。





 名称:茅場橋
 構造種別:1径間鈑桁
 河口からの距離:0.7km
 橋の長さ:57.6m
 有効幅員:30m
 完成:1992年(H4)



茅場橋の左岸側から北東350mに茶ノ木神社が在ります。境内の由緒案内によると、此の土地は下総佐倉の城主大老堀田家の中屋敷で、屋敷神として祀られていました。社の周囲に巡られた土壌芝の上に丸く刈り込まれた、お茶の木が見事だった事からの社名です。1960年(S35)に地下鉄の計画路線にあり解体、地下鉄が完成後に新社殿を建立、1985年(S60)に布袋尊を遷座して、日本橋七福神の布袋尊としても信仰を集めています。祭神:倉稲魂大神、所在:中央区日本橋人形町1-12-10。狛狐は(H20)の建立です。




日本橋川に戻り、茅場橋の上流150mに架かるのが『#06鎧橋』で、日本橋川左岸の中央区日本橋小網町と右岸の中央区日本橋茅場町・日本橋兜町とを結び、一般道(平成通り)が通ります。由来碑によると、最初に架けられたのは1872年(M5)、当時此の近くに在った三井家などの豪商が木橋を架けたのが始まりです。其の後、1888年(M21)に鉄骨製のトラス橋に架け替えられています。右岸側の橋の袂に「鎧の渡し跡」が在ります。古くは江戸時代の元禄年間(1688~1704年)以来の絵図や地誌類にも記されていた渡し場で、鎧橋が架けられるまで存続していたそうです。渡し跡の手前のビルは1988年(S63)竣工の東京証券取引所本館です、会社に居た時に積み立てていた持ち株がどっさりと溜まっていますが、今年に入ってから暴落、元に戻るまで5年位待つしかないね、困ったもんだよ!





 名称:鎧橋
 構造種別:3径間ゲルバー桁
 河口からの距離:0.9km
 橋の長さ:56.7m
 有効幅員:19m
 完成:1957年(S32)



鎧橋から左岸沿いの道を200m程進むと、子網神社が在ります。恵心僧都が1466年(文正1)に稲荷大神を勧請、当時の領主であった太田道灌が小網山稲荷院万福寿寺と名付けたと云われ、慶長年間(1596~1616年)には院号に因み、周辺地域が小網町と名付けられたそうです。江戸期には浅草新寺町に在り、明治の神仏分離令によって分離、子網稲荷神社とした後、1869年(M2)に現在地に遷座、1873年(M6)村社に列格したと云われています。戦後の宗教法人化に伴い、名称は小網神社となりました。日本橋七福神の福禄寿・弁財天で、下町八社巡りの一社です。祭神:倉稲魂命(稲荷大神)、市杵島姫命(弁財天)、所在:中央区日本橋小網町16-23。




更に小網神社から日本橋川沿いの道を北西に280m程進むと、ビルの谷間にひっそりと佇む常盤稲荷神社が在ります。境内の由緒案内によると、室町時代中期の1457年(長禄1)に太田道灌が江戸城築城の際、京都伏見稲荷大神の分霊を祀り、常盤稲荷と名付け江戸城の守護神として勧請されたと云われています。其の後江戸時代には、日本橋魚市場内に移り、市場の守護神水神大神(罔象女神)を相殿に祀り、現在地に遷座しています。祭神:倉稲魂命、相殿:罔象女神、所在:中央区日本橋本町1-8付近。


常盤稲荷神社の南西120m、鎧橋の上流420m程に架かるのが『#07江戸橋水管橋』です。日本橋川左岸の中央区日本橋本町と右岸の中央区日本橋との間に位置し、都水道局の水道管(φ1000)が渡されています。頭上を通る首都高速の隙間から暖かい陽が射し込み、水管橋の上で休んでいるユリカモメも眠そうだね。



 名称:江戸橋水管橋
 構造種別:2径間パイプビーム
 河口からの距離:1.2km
 橋の長さ:約71m
 有効幅員:約1m
 竣工:1964年(S39)



江戸橋水管橋の上流隣に架かるのが『#08江戸橋』で、都道316号日本橋芝浦大森線(昭和通り)が通ります。創架は不詳ですが、江戸時代初期の1631年(寛永8)には、既に此の辺りに橋が在ったそうです。橋の付近で花や鳥などが撮れれば賑やかしで載せるのですが、何もないね。あっ、付近の立ち飲み処の壁に泣き面さしこのポスターが貼ってあったのでパチリ、此れで良いか(笑)。美人じゃないけど、人気あるよね、バラエティ能力が高いからかな?





 名称:江戸橋
 構造種別:2径間アーチ
 河口からの距離:1.3km
 橋の長さ:63.4m
 有効幅員:44.4m
 完成:1927年(S2)



江戸橋の上流230mに架かるのが『#09日本橋』です。左岸側に三井家の「三井」と創業時の「越後屋」から取った、三越が建っています。写真は2004年(H16)にリニューアルオープンした日本橋三越本店新館です。五街道の原点である日本橋は、明治以降も国道の起点として継承され、1972年(S47)に橋の道路中央部に道路元標が埋設されていて、東京市道路元標の脇に複製が設置されています。道路を挟んだ反対側は乙姫広場と呼ばれ、「日本橋魚市場発祥の地」の碑と乙姫像が立っています。魚市場は関東大震災で焼亡し、現在は築地に移転しています。此れが乙姫?お腹がポッコリと出た弟姫(おとひめ)だね、兄姫(えひめ)はどんな容姿なんだろ、想像するだけで怖いね(爆)。




日本橋は日本橋川左岸の中央区日本橋室町と右岸の中央区日本橋とを結び、橋の中央部を起点として南に国道1、15、20号、北に国道4、6、14、17号が伸びています。創架は1603年(慶長8)、橋には芸術的な麒麟像と東京市の紋章(東を象形)を持つ獅子像などが燈柱に装飾されています。因みに日本橋には、橋(8×4)=32頭の獅子が隠れていますので、興味がある人は探して見て下さい。燈柱上やアーチ部にも居るよ。







 名称:日本橋
 構造種別:2径間石造アーチ
 河口からの距離:1.5km
 橋の長さ:49.1m
 有効幅員:27.3m
 完成:1911年(M44)



日本橋の上流140m程に架かるのが、今回終着地点の『#10西河岸橋』です。日本橋川左岸の中央区日本橋室町と右岸の中央区日本橋・八重洲とを結び、一般道が通ります。創架は1891年(M24)の鋼製トラス橋でした。昔は、此の付近の右岸側を西河岸、左岸側は北河岸と呼ばれており、右岸側の旧地名である東京市日本橋区西河岸町が橋名の由来です。



 名称:西河岸橋
 構造種別:3径間鈑桁
 河口からの距離:1.6km
 橋の長さ:52m
 有効幅員:11m
 完成:1925(T14)



>>>後書き<<<
次回は西河岸橋から遡上して、一石橋、常盤橋、新常盤橋、東北・上越新幹線橋梁、JR在来線橋梁、NTT鎌倉橋専用橋、鎌倉橋、神田橋までの紹介です。

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  1. 2016/07/03(日) 12:00:00|
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