ぶらっと遡上探索

河川沿いの散策、橋と付近の名所を写真で紹介します。偶にSpotで色々と...

Scene-91 荒川右岸 『首都高6号線新荒川橋、堀切橋、京成本線橋梁』


This best shot
 

次回アップ予定:Scene-92 荒川左岸 『東武スカイツリーライン橋梁、他3橋梁』(4/3)
今回は荒川右岸の京成押上線橋梁から遡上して、首都高6号線新荒川橋、堀切橋、京成本線橋梁までの紹介です。先ずは京成押上線橋梁の手前100mの処に八広の日枝神社が在るので寄ります。日枝神社は、1614年(慶長19)に創建したと云われています。祭神:大山咋神、所在:墨田区八広6-32-6。境内社の木下稲荷神社は日枝神社の摂社として創立されていましたが、荒川放水路の用地に入った為、現在の場所に移転しています。
 

 

 

京成押上線橋梁を潜り、西方向に200mの処に真言宗智山派寺院の寶蔵寺が在ります。創建不詳、山号:常在山、所在:墨田区八広6-9-17。
 

荒川側に戻り、都道449号新荒川堤防線を進み、前回紹介の新四つ木橋と四つ木橋を潜り200m先に隅田の稲荷神社が在ります。隅田稲荷神社は、旧善左衛門村を開拓した江川善左衛門が天文年間(1532-1553)に創建した、善左衛門村の鎮守であったと云われています。祭神:宇迦之御魂命、所在:墨田区墨田4-38-13。
 

 

 

稲荷神社から荒川に再び戻ります。此処から新荒川橋までの右岸には見処が無いので、右岸堤防を約1400m進みます。
 
新荒川橋の手前に河口から10.25km標識が在りました。何故、こんな中途半端な距離標識なんだろうね?頭に測量用の金属鋲が付いているので基準点標識だね。川面ではモーターボートが猛スピードで航行、水上は制限速度って無いのかね?早速、調べました。荒川下流域では船舶の速度制限は無く、代わりに「航走波(引き波)が大きく発生して他の船に影響を与えない速度で航行する事」とありました。ん~曖昧過ぎて判りません。
 

『#18首都高6号線新荒川橋』に到着です。右岸の墨田区墨田と左岸の葛飾区堀切との間に架かり、首都高速6号向島線が通ります。左岸河川敷にはポプラの木が2本植えられているのが印象的です。
 

首都高6号線新荒川橋はダブルデッキ構造で下層が下り線、上層がV字形の支柱で支えられている上り線になっています。
 

 

 



名称:首都高速6号線新荒川橋
構造種別:5径間鋼ゲルバー箱桁(下層)
構造種別:5径間鋼鈑桁(上層)
河口からの距離:10.3km
橋の長さ:486m
有効幅員:16~18m
竣工:1981年(S56)




新荒川橋の上流に、高潮や増水時に荒川から運河(旧綾瀬川)を経由して隅田川への流入を防止する隅田水門が在ります。形式:鋼製ローラーゲート、径間:10m×1連、門扉高さ:8.35m、竣工:1969年(S44)。水門の脇におでこの広いオオバンが泳いでいます、英名でcootと呼ばれていますが、白い頭部の連想から英語で「額がハゲあがっている」ことをas bald as a coot(オオバン)と云うんだそうです。それって、セクハラですよ。
 

 

河川敷を少し進むと珍しいと云うか、初めて見る鳥が居ました。先程のオオバンに体系が似ていますが、嘴が鮮やかな赤と黄色のツートンカラーだ。帰ってから早速、画像検索です。"赤と黄色の嘴"で引くと、見つかりました、バンと云う鳥です。バン(鷭)はツル目クイナ科に分類され、体長35 cm程のハト位の大きさで、繁殖期には額板と嘴の根元が赤くなるそうです。
 

運河(旧綾瀬川)に架かる千住曙町橋を渡って、約200m先に見えるのが『#19堀切橋』です。直ぐ隣の上流側に京成本線橋梁が架かっています。
 

右岸の足立区柳原と左岸の葛飾区堀切との間を結び、都道314号線が通ります。此の場所は、江戸時代には堀切の渡船場があった場所で、初代の橋は1924年(T13)に現在地から下流250m程の場所に木橋が架けられていました。
 

 

 



名称:堀切橋
構造種別:9径間鋼ゲルバー箱桁
河口からの距離:10.6km
橋の長さ:454m
有効幅員:約20m
竣工:1967年(S42)





堀切橋の上流15m程の場所に架かるのが『#20京成本線橋梁』です。右岸の足立区柳原と左岸の葛飾区堀切との間に架かり、京成電鉄本線の京成関屋駅と堀切菖蒲園駅の間に在ります。
此の付近も地盤沈下が進行していて、周辺の堤防に比べて最大約3.7mの段差があります。従って、大規模な増水発生時には堤防の低い部分から水が溢れて堤防が決壊する危険性が生じるなど、治水上や安全上の問題が生じる恐れが出た為、京成電鉄や国土交通省等は地盤沈下によって低くなってしまった堤防の欠損部を、必要な高さまで嵩上げするのに支障となる京成本線荒川橋梁及び綾瀬川橋梁の架替工事が計画されています。京成本線の京成関屋駅~堀切菖蒲園駅間の約1.5kmを改良する工事で、最終的には、11年計画で現在の橋梁の直ぐ上流側に下路ワーレントラス形式で2025年(H37)までに架橋される予定です。
 

 

 



名称:京成本線荒川橋梁
構造種別:中間部3径間下路曲弦ワーレントラス
構造種別:両端部6径間鈑桁
河口からの距離:10.6km
橋の長さ:447m
軌道:複線
竣工:1931年(S6)




>>>後書き<<<
京成本線橋梁の写真が靄(もや)っていますが、此の部分は別撮りで前日夜に雨が降って湿度が高かった為、翌朝に晴れて放射冷却による靄の発生です。偶然の産物ですが朝靄も幻想的で良いですよね。
昨年の3月は多摩川遡上途中で土筆を採っていましたが、荒川の土手にも沢山生えている場所が在りましたので、土筆狩りです。捕る人が少ないのか?群生で採り放題、ちびっこの土筆は次に採る人の為に残します。家に持ち帰り早速、難関の袴外しです。袴を外し乍ら、本数を数えていましたが100本数えた所で未だ半分以上残っていて面倒臭くなり、途中休憩を入れて約1時間掛かりました、ふ~う終わった。水に晒してアク抜きの間にCOOKPADでレシピ検索。量が多いので土筆のキンピラと天婦羅を作ります。先ず土筆を4cm程にカットして2分程煮てから、緑色になったお湯を捨てて、冷水で洗い流し水気を切ります。次に胡麻油で炒めてから、みりん、料理酒、蕎麦つゆ(何れも少量)で絡めて完成、簡単でした。天婦羅は昨年爪楊枝で纏めましたが、刺すのが面倒なので今回は茹でて柔らかくした長めの土筆を紐代わりにして5,6本を一纏めにしてから、普通に天婦羅にしました。バラけずに上手く纏まりますよ。キンピラは茎がシャキシャキして旨いし、天婦羅も少し苦みが在り大人の味で美味でした。半分以上残ったけど明日も明後日も食べます。
 

 

次回は荒川左岸の四つ木橋から遡上して、東武スカイツリーライン橋梁、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス橋梁、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線橋梁、東京メトロ千代田線橋梁までの紹介です。

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/30(日) 02:40:24|
  2. 荒川

Scene-90 荒川左岸 『新四つ木橋、四つ木橋』


This best shot
 

次回アップ予定:Scene-91 荒川右岸 『首都高6号線新荒川橋、堀切橋、京成本線橋梁』(3/30)
今回は荒川左岸の平井大橋から遡上して、新四つ木橋、四つ木橋までの紹介です。本日のスタートはJR総武本線の新小岩駅です。日中は暖かいけど朝は未だ寒いので先ずは温かい物で腹ごしらえだ、北口駅前に立ち蕎麦屋さんが在ったので、ゲソ天そば(¥350)を注文。烏賊は天婦羅が一番旨いよね。
 

JR新小岩駅前から都道308号(平和橋通り)を約1km直進した処に日蓮宗寺院の圓成寺が在ります。1573年(天正1)に日和大徳が開山となり創建したと云われています。山号:黄金山、本尊:三宝祖師・四菩薩・文殊普賢・四天王、所在:葛飾区西新小岩5-28-18。
 

 

裏側に真言宗系単立寺院の東光寺が在ります。1596年(慶長1)に海秀法印が創建したと伝えられています。山号:医王山、院号:瑠璃院、本尊:薬師如来像、所在:葛飾区西新小岩5-21-20。庭に冬の花、水仙が綺麗に咲いています。
 

 

平和橋通りを挟んだ反対側に新義真言宗の上品寺が見えます。創建年代は不詳、1716年(享保1)伝祐が新義真言宗正福寺末として創建されたと伝えられています。山号:本八幡山、院号:来迎院、本尊:阿弥陀如来像、所在:葛飾区東新小岩7-8-2。境内に八幡神社が在ります、鳥居は1929年(S4)奉納の明神鳥居。
 

 

 

平和橋通り沿いに100m程進むと、天祖神社が在ります。正福寺法印権大僧都永盛により1666年(寛文6)に創建され、旧上小松村の鎮守社とされています。祭神:天照皇大神、所在:葛飾区東新小岩4-23-8。入口の鳥居は1959年(S34)奉納の神明鳥居です。
 

 

荒川と平行する中川方向に700m程戻ると、中川に架かるワーレントラスの上平井橋が在り、下流方向には上平井水門が見えます。形式:鋼製ローラーゲート、径間:30m×4連、門扉高さ:9.5m、竣工:1969年(S44)。更に上平井水門の下流100mに荒川が高潮時の中川への逆流防止用の中川水門が在ります。形式:鋼製ローラーゲート、径間:12m×1連、門扉高さ:11m、竣工:1982年(S57)。
 

 

上平井橋を渡ると首都高中央環状線が綾瀬川を渡る場所に架けられた「かつしかハープ橋」の下に出ます。ハープ橋は世界初の曲線斜張橋で、2本の塔から左右に48本のケーブルが張られ、其の姿がハープに似ている事からの命名です。構造:4径間連続S字形曲線斜張橋、長さ:455m、幅員:18.5m、竣工:1986年(S61)。
 

 

河口0km地点から荒川と平行していた中川は、上平井橋の先から大きく右にカーブして荒川と離れて行きます。代わりに綾瀬川が4km程、荒川と平行します。首都高中央環状線の高架下に在る綾瀬川の遊歩道を200m程進んだ左側に浄光寺が在ります。浄光寺に寄る前に、綾瀬川の上流300mに黄色い橋が見えたので確認です。東四つ木避難橋という銘版がありましたので、多分、近くの中川のカミソリ堤防が決壊した場合や、大型火災などで荒川の広域避難場所へ逃げる際の橋ですね。先程の場所に戻ります。

 

 

天台宗寺院の浄光寺は849年(嘉祥2)に創建したという古刹で、伝教大師作の薬師如来像を本尊とし、もと天台宗浅草寺末でした。古くから木下川薬師として知られている他、徳川家の祈祷所・御膳所として庇護されていました。山号:青龍山、院号:薬王院、本尊:薬師如来像、所在:葛飾区東四つ木1-5-9。
 

 

 

浄光寺から北に100mの場所に王子白髭神社が在ります。清和天皇の第7皇子貞辰親王が東国遊行の際、938年(元慶1)に当地で死去、比叡山慈覚大師は良本阿闍梨に命じて塚を築いたのが始まりです。祭神:貞辰親王命、所在:葛飾区東四つ木1-12-26。入口の鳥居は1959年(S34)奉納の神明鳥居、狛犬は1919年(T8)の奉納。左側の狛犬は顔面崩壊なので引きの絵で勘弁を。
 

北側200m程の処に真宗高田派の林柔寺が在ります。1630年(寛永7)に僧善長が唯念寺の塔頭林昌軒として日本橋馬喰町に創建したのが始まり、その後、明暦の大火により下谷稲荷町へ移転、更に関東大震災の後、現在地へ移転しています。山号:楊柳山、本尊:阿弥陀如来立像、所在:葛飾区東四つ木1-23-12。
 

北西に400m程進むと東四つ木の白髭神社があります。東四つ木白鬚神社は渋江村の鎮守で、江戸時代は葛西の客人大権現と呼ばれ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々の崇敬を集めていました。創建年代は不詳です。祭神:猿田彦命、大己貴命、建御名方命、所在:葛飾区東四つ木4-36-18。入口の鳥居は1823年(文政6)建立の古い明神鳥居です。
 

 

 

北西に300mの処にも、又々白髭神社が在ります。此方は四つ木の白髭神社です。
承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村した時、四つ木村の鎮守として勧請されたと伝えられています。祭神:猿田彦命、所在:葛飾区四つ木2-18-11。入口の明神鳥居は1915年(T4)の奉納です。
 

 

国道6号線に沿って、荒川の四つ木橋方向に向かいます。橋の手前200mに天台宗寺院の西光寺が在ります。1225年(嘉禄1)に創建されたと云われています。山号:超越山、院号:来迎院、本尊:阿弥陀如来立像、所在:葛飾区四つ木1-25-8。
 

 

国道6号線を200m進むと『#16新四つ木橋』です。右岸の墨田区八広と左岸の葛飾区四つ木とを結び、国道6号の支線が通ります。上流に架かっている四ツ木橋の前後で発生する、慢性的な交通渋滞を解消する目的で架けられた橋です。
 

 

 



名称:新四つ木橋
構造種別:7径間鋼製ゲルバー箱桁
河口からの距離:8.8km
橋の長さ:507m
有効幅員:約17m
竣工:1973年(S48)





河川敷の桜にムクドリが開花チェックで派遣されていました。「ん~蕾が緩んで来たので、後2、3日で開花しますよ!」との事です。凄い、気象庁の開花予測と略同じだ。
 

四つ木橋と並ぶように上流に架かるのが先代の『#17四つ木橋』です。右岸の墨田区八広と左岸の葛飾区四つ木とを結び、国道6号線が通ります。荒川放水路開削に伴い1922年(T11)に現在地よりも約500m下流に木製の四つ木橋(旧橋)が架橋されており、現在地に新四つ木橋として架橋されました。其の後、木製の四つ木橋が撤去され、名称が四つ木橋に変更されています。
 

 

 



名称:四つ木橋
構造種別:ランガー橋(中央部)
構造種別:右岸7径間、左岸8径間鋼鈑桁(両端部)
河口からの距離:8.9km
橋の長さ:452.8m
有効幅員:17~20m
竣工:1952年(S27)





>>>後書き<<<
先週、春一番が吹き、暑さ寒さも彼岸まで、待ちに待った春到来です。ダウンジャケットはクリーニングへ、薄手のウンドブレーカーに衣替え、彼方此方で開花する桜を見ながら遡上探索も気合が入りますね。
次回は荒川右岸の京成押上線橋梁から遡上して、首都高6号線新荒川橋、堀切橋、京成本線橋梁までの紹介です。

コメントがありましたら、[拍手]ボタンから送って下さい。(非公開扱いです)

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/26(水) 03:25:34|
  2. 荒川

Scene-89 荒川右岸 『木根川橋、京成押上線橋梁』


This best shot
 

次回アップ予定:Scene-90 荒川左岸 『新四つ木橋、四つ木橋』(3/26)
今回は荒川右岸の総武本線橋梁から遡上して、木根川橋、京成押上線橋梁までの紹介です。総武本線橋梁の上流200mに架かる前回紹介の平井大橋を通る蔵前橋通りを左に600m進むと新義真言宗寺院の燈明寺が在ります。平安時代の創建と伝えられ、東金町の金蓮院末です。燈明寺の別堂である聖天堂は「平井聖天」と云われ、昔から埼玉県妻沼聖天、江戸浅草待乳山聖天と共に関東三聖天の一つとして知られています。江戸時代には歴代将軍が鷹狩の時に聖天に参詣され、御膳所にもなっていたそうです。山号:明雅山、院号:明王院、本尊:不動明王像、所在:江戸川区平井6-17-30。
 

 

 

荒川右岸に戻り、遡上を再開します。平井大橋の上流200mに水上バスの平井水上ステーションが在り、災害時は防災船着場になります。700m程進むと荒川と木下川排水機場を繋ぐ、木下川排水樋管が見えます。形式:鋼製単葉ローラーゲート、径間:4.2m×2連、門扉高さ:4m、竣工:1973年(S48)。堤防左手には墨田アスコンが見える位で、見処は在りません。
 

 

排水樋管の先に河口から7kmポストが在りました。対岸には荒川と平行する綾瀬川に架かる、葛飾ハープ橋が見えます。此の橋は次回Sceneで近くを通りますので其の時に紹介します。
 

300m程先に白髭神社が在るので堤防を降ります。此の辺の堤防は200m置きに階段が付いているので楽ですが、横断用の信号が無い箇所が殆どなので、右ヨシ!左ヨシ!車に注意です。
 

墨田区東墨田の白髭神社は806年(貞観2)の創建と云われており、下木下川村の鎮守社でした。現在の荒川放水路の略中央に鎮座していましたが、荒川開削により1915年(T4)現在地に移転鎮しています。祭神:猿田彦命、所在:墨田区東墨田3-13-24。入口鳥居は1971年(S46)奉納の明神鳥居です。
 

 

 

白髭神社から北西100mに真言宗豊山派寺院の萬福寺が在ります。1527年(大永7)に下木下川村に創建したと伝えられ、此のお寺も荒川開削により現在地に移転しています。山号:光明山、院号:蓮池院、本尊:阿弥陀如来像、所在:墨田区東墨田3-12-19。
 

萬福寺から河川堤防に戻り700m程で、『#14木根川橋』に到着です。右岸の墨田区八広と、左岸の葛飾区東四つ木とを結び、都道449号新荒川堤防線の分岐道(此れも449号線)が通ります。橋の名前は左岸地区名から付けられていますが、室町時代には木毛河(きけがわ)と呼ばれていた場所で、其の後に木毛川(きけがわ)→木下川(きねがわ)、そして現在の木根川(きねがわ)に変化しています。
 

 

 



名称:木根川橋
構造種別:7径間下路ワーレントラス
河口からの距離:8.2km
橋の長さ:466m
有効幅員:約12m
竣工:1969年(S44)





木根川橋の上流200mに架かるのが今回最終地点の『#15京成押上線橋梁』ですが、今回は見処が少なくてブログスペースが余ってしまいましたので、此れまでに見掛けた荒川の野鳥を紹介します。
先ずは警戒心が強いオオバンです、レンズを向けると遠ざかります。次は初登場のツグミ、鳥綱スズメ目ツグミ科ツグミ属に分類される鳥で、遠くから見た時はムクドリと思ったのですがレンズ越しに見ると綺麗な羽で、ムクドリとは美しさで大違いです(ムクちゃんゴメンネ)。次が川鵜、多摩川など魚が多い河川で見る鳥です。荒川放水路は魚影が濃いとは言えないので、地図を間違えて飛来したのか?更に上流へ移動する途中で休憩しているのか?ですね。
 

 

 

最初はスズメに見えたのですが、良く見ると初登場のシロハラホオジロ(白腹頬白)で、スズメ目ホオジロ科の鳥類の一種です。日本では数少ない旅鳥として渡来します。スズメも良く見ると可愛い小鳥で警戒心が強いね、集団で餌を探している時でも1羽が警戒要員として周囲を見張っていますよ。次がヒドリガモ、隅田川や荒川で良く見かける鳥です。次も初登場のキンクロハジロ(金黒羽白)で、モ目カモ科ハジロ属に分類される鳥です。日本では冬季に九州以北に越冬で飛来する冬鳥で、虹彩は黄色で和名キンの由来になっています、♂は後頭の羽毛が伸長しますが♀は冠羽が短いです。最後にユリカモメ、何処にでも集団で居る奴で仕草が面白いお笑い系の鳥です。
 

 

 

最後に『#15京成押上線橋梁』を紹介して終わります。右岸の墨田区八広から左岸の葛飾区四ツ木に架かる、京成押上線が通る橋梁で、右岸側の八広駅と左岸側の京成立石駅の間に在ります。先代の京成押上線荒川橋梁は1923年(T12)に架橋されましたが、周辺地域は地下水汲み上げによる地盤沈下が進み1890年(M23)の観測以来、3.5mの地盤沈下地域であり堤防は嵩上げされましたが、押上線橋梁区間は未改修であり連続堤防としての効果を発揮出来ず、治水上の危険箇所となっていました。又、1991年(H3)には航行中のタンカーが橋脚に衝突し、衝撃で橋梁上の線路が長さ40mに渡り40~60cm曲がり運行不能になるなどの問題を抱えていました。翌年から橋梁の架け替え工事が開始され、10年後に下流側16mの位置に完成し、桁下は約4m嵩上げされ、堤防も連続化されています。
 

 

 



名称:京成押上線荒川橋梁
構造種別:7径間下路ワーレントラス
河口からの距離:8.4km
橋の長さ:473m
軌道:複線
竣工:2002年(H14)





>>>後書き<<<
今回の右岸側は見処が少なかったので、荒川で見掛けた野鳥で穴埋めしました。荒川沿いは草地、湿原が多く色々な野鳥が飛来して来るので、機会を見ながら又、載せますよ。序にもう一つ穴埋めで、先週末に飲みに行った居酒屋「さくら水産」を紹介。川崎に勤務していた時に良く行った店です。馴染みの同僚とは退職後も定期的に顔を合わせ、取り敢えず行くのが川崎駅前2号店。お勧め品は、刺身6点盛り(¥950)、いか丸ごと天ぷら(¥380)、旬の刺身など。味は普通だけどリーズナブルで空いているので好きです。
 

次回は荒川左岸の平井大橋から遡上して、新四つ木橋、四つ木橋までの紹介になります。

コメントがありましたら、[拍手]ボタンから送って下さい。(非公開扱いです)

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/22(土) 02:29:36|
  2. 荒川

Scene-88 荒川左岸 『平井大橋』


This best shot
 

次回アップ予定:Scene-89 荒川右岸 『木根川橋、京成押上線橋梁』(3/22)
今回は荒川左岸の船堀橋から遡上して、平井大橋までの紹介です。左岸側は中川と平行しており、間の中洲状の場所には首都高速中央環状線の高架柱しか在りませんので、中川側の左岸を遡上します。船堀橋の上流に東小松川ポンプ所の排水門が見え、堤防の右下側に東小松川ポンプ所が在ります。荒川放水路開削の際に、両岸に造られた堤防の高さが右岸と左岸とで違う事を知っていますか。左岸側の江戸川区は都心側の遊水池として計画された為、左岸側の堤防は右岸の都心側よりも高さが低く設計されています。又、江戸川区は地盤沈下の影響により満潮時0m区域が陸域の約70%に達しているので、高潮時や降雨の排水拠点として各地にポンプ所が在り、中川や荒川などに強制排水しています。所在:江戸川区東小松川4-2-3。
 

 

300m程遊歩道を進むと、江戸川ボートレース場で川辺の遊歩道は遮断されます。階段で堤防の上に上がると、ありゃや!堤防を降りる階段が在りません!!後ろを振り返ると150m位戻った処に階段が在りました。どういう設計になってんだか?戻るしかないのでバック、階段下も段差が50cm程の造りで、傍に「高齢歩行者死亡事故多発注意」の看板が在るけど、お年寄りには此の段差は直ぐには上がれないよ、横断歩道も信号も無いし!!
 

 

堤防を降りて西に200m行くと、渡し場水神宮が在ります。旧東小松川村には、上之庭、新道、中之庭、入之庭、大江川、渡し場、品清の集落があり、夫々に水神様が祀られていて、入之庭、大江川、渡し場の水神講が残っています。創建、詳細などは不明、所在:江戸川区東小松川4-28-15。入口の鳥居は1906年(M39)奉納の明神鳥居です。
 

北に200mの処に東小松川の白髭神社が在ります。建治年間(1275~1278年)の創建と伝えられており、近在の東小松川香取神社や浮洲明神社と共に旧東小松川村の鎮守社でした。祭神:猿田彦神、所在:江戸川区東小松川3-7-20。入口の鳥居は1990年(H2)奉納の明神鳥居、狛犬は1854年(嘉永7)建立の古い造りです。
 

 

道を挟んだ対面に真言宗豊山派寺院の善照寺が在ります。境内の由緒札によると、隆範(りゅうばん)上人が開山となり創建され、頼玄(らいげん)上人が中興したと云われています。山号:医王山、院号:薬王院、本尊:大日如来像、所在:江戸川区東小松川3-3-19。
 

 

 

道成に100m程北上すると真言宗豊山派寺院の寶積院が在ります。創建年代は不詳ですが、寶秀上人が中興したと云われています。山号:香取山 、院号:宝積院、寺号:松泉寺、本尊:阿弥陀如来像、所在:江戸川区東小松川2-1-16。
 

寶積院前の小川を越えた50m西に西小松川の天祖神社が在ります。下総国千葉家より1456年(康正2)に神職が当所に引き移り創建したと伝えられている旧西小松川村の鎮守社です。祭神:天照大神、所在:江戸川区西小松川町1-3。末社:稲荷神社、疱瘡神社。入口に立つ社名柱は以前の鳥居をリサイクルしたものです。入口に一の鳥居、2012年(H24)奉納の神明鳥居が在り、奥に二の鳥居と手水舎が並びます。
 

 

中川沿いに戻り堤防の遊歩道に上がると、寶積院前を流れていた小川(小松川境川)の排水門が在ります。後ろ方向に振り向くと堤防の上に、何やら金属製の埋め込み標識発見、河口より4kmの表示が刻まれています。中川沿いはポストでは無く此の標識なんだ。20m程離れた場所にも埋め込み標識が在りました。此方は中川護岸管理延長・河口から6kmの表示が刻まれています。ん~6km?計算が合わないね、帰宅してから河口からの距離を測定すると、最初の4kmマークは荒川との合流点(0km)からの距離、6kmマークは荒川左岸の湾岸橋からの護岸距離でした。
 

 

望遠で堤防遊歩道先を覗くと前回紹介した首都高7号線荒川大橋の手前に行き止まりの柵が在るので、早めに堤防を降ります。下の側道を首都高7号線荒川大橋高架下まで進むと、小野原稲荷神社が在ります。創建年代は不詳ですが、西小松川村の小野原耕地に祀られて小野原稲荷と呼ばれていたと云われています。祭神:宇迦之御魂命、所在:江戸川区西小松川町16-1。明神鳥居は1894年(M27)の奉納です。
 

前回紹介の小松川大橋に来ると中川左岸上流の護岸法面(のりめん)緑化工事を行なっていました。法面緑化方法は色々と有りますが、此処ではテラセルと云うハニカム状の立体構造物を法面に引っ掛けて、植生土嚢を充填した後、芝生を貼って約半年で完成です。
 

中川沿いには見処が無いので、千葉街道と昭和橋通りの交差点付近に在る東小松川香取神社まで、北東に約600m移動します。東小松川香取神社は、1277年(建治3)の勧請と云われ、東小松川村の鎮守として祀られています。祭神:経津主命、所在:江戸川区中央4-25-18。入口の鳥居は1993年(H5)奉納の明神鳥居、狛犬は1848年(嘉永1)建立の古い造りです。
 

 

 

昭和橋通りを400m程北西方向に進むと、真言宗豊山派寺院の東福院が在ります。境内の由緒札によると、1631年(寛永8)に大和の人秀円僧都が創建した寺院です。山号:施薬山、院号:東福院、寺号:医王寺、本尊:薬師如来像、所在:江戸川区松島3-38-18。
 

中川方向に400m程進み、中川沿いに400mで前回紹介の総武本線橋梁、更に200m進むと今回最終地点の『#13平井大橋』に到着です。平井大橋は、荒川と中川に架かる橋で、右岸の江戸川区平井と左岸の葛飾区西新小岩とを結び、都道315号御徒町小岩線が通ります。右岸上流側の欄干の色が濃い箇所、判りますか?此れは、昨年5月に乗用車がフェラーリに追突され約7.5m下の河川敷に欄干を突き破って落下した痕跡です。
 

 

 



名称:平井大橋
構造種別:10径間鋼製ゲルバー箱桁
河口からの距離:6.0km
橋の長さ:484m
有効幅員:約20m
竣工:1967年(S42)





>>>後書き<<<
本日から東京は20℃近くに気温が上がり初夏の様相、いきなり暑くなると体調が狂うよね、でも寒いよりはマシかも。服装も身軽に成り、遡上探索の足を延ばせそうです。荒川は173kmと長いので未だ河口から6kmはイントロ部分、アウトロ?がお披露目できるのは年を越えそうですよ。
次回は荒川右岸の総武本線橋梁から遡上して、木根川橋までの紹介です。
コメントがありましたら、[拍手]ボタンから送って下さい。(非公開扱いです)

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/18(火) 03:08:43|
  2. 荒川

Scene-87 荒川右岸『首都高7号線荒川大橋、新小松川大橋、小松川大橋、総武本線橋梁』


This best shot
 

次回アップ予定:Scene-88 荒川左岸 『平井大橋』(3/18)
今回は荒川右岸の都営地下鉄新宿線橋梁から遡上して、首都高7号線荒川大橋、新小松川大橋、小松川大橋、そして総武本線橋梁までの紹介です。此の辺りも遊歩道は整備されています。前回紹介の船堀橋を潜ると、左手方向に大島小松川公園が在り、松や桜並木が続いています。TSTも此処から良く見え、後2週間程経てば開花予定なので4月上旬には花見客で賑わいそうです。
 

 

大島小松川公園の端から200m程の処に小松川神社が在ります。荒川が開削された事により此の地域が旧西小松川村から分離されて小松川町になり、旧西小松川村の鎮守であった堂ヶ島の新小岩香取神社と、下之庭の西小松川天祖神社の分霊を勧請し、1937年(S12)に小松川神社として創建されました。祭神:天照皇大神、所在:江戸川区小松川3-1-2。入口の神明鳥居と狛犬は神社創建時期前年の1936年(S11)に奉納されたものです。狛犬は台座の下に別仕様で子犬が居る珍しいタイプです。
 

 

小松川神社前の首都高速7号小松川線高架下を荒川方向に進むと、通称、荒川大橋ですが、埼玉県熊谷市河原町1丁目・榎町境界と同市村岡の間に架かる橋が荒川大橋になっているので、此処では首都高7号線荒川大橋とします。
 

『#09首都高7号線荒川大橋』は、右岸の江戸川区小松川と左岸の江戸川区西小松川付近を結ぶ首都高速7号小松川線が通るハープ形式の斜張橋です。通常の斜張橋はワイヤケーブルで張られていますが、此の橋は鋼管材によって張られている珍しいタイプで、斜材の数が少なくてスッキリしていますね。
 

 

 



名称:首都高速7号線荒川大橋
構造種別:3径間連続斜張橋
河口からの距離:4.3km
橋の長さ:斜張橋部282m
有効幅員:約20m
竣工:1970年(S45)





首都高7号線荒川大橋の上流200mに架かるのが『#10新小松川大橋』。左岸の江戸川区小松川と右岸の江戸川区松島とを結び、国道14号線(京葉道路)が通ります。新小松川大橋は国道14号線の上り専用線になっており、上流側に隣り合わせに架かる小松川大橋が下り専用線になっています。空からの橋の絵はGoogleからの拝借です。
 

新小松川大橋の名前は左岸地区の地名、小松川から付けられています。もう一つ、此の地区の地名から付けられたものに小松菜が在ります。江戸幕府の第8代将軍『徳川吉宗』が鷹狩りに小松川へ訪れた時に休憩中に食べた、地元で採れる青菜を入れた餅のすまし汁の味と香りを気に入ったが、名前の無い野菜だと知ると、此の地名から小松菜と名付けたと云われています。
 

 

 



名称:新小松川大橋
構造種別:7径間鋼製ゲルバー箱桁
河口からの距離:4.6km
橋の長さ:529m
有効幅員:約18m
竣工:1972年(S47)





直ぐ隣の上流側に架かるのが『#11小松川大橋』で、初代の橋は荒川放水路の開削直後に架けられた一車線しかない橋でした。其の後1941年(S16)に2代目のブレースドリブタイドアーチ橋が架けられ、現在の橋が3代目になります。
 

 

 



名称:小松川大橋
構造種別:7径間鋼製ゲルバー箱桁
河口からの距離:4.6km
橋の長さ:495m
有効幅員:約14m
竣工:1969年(S44)





小松川大橋上流の河川敷は芝生の運動公園や野球場として整備されています。川には隅田川で見掛けた海掃船が此方でも清掃作業をしています、荒川と隅田川は複数の運河で繋がっているので自由に往来出来ます。空には米軍の多用途・補給支援ヘリコプターMH-60S ナイトホークが飛んでいます。昨年12月に三浦市に落下したヘリコプターの部隊と同じ同型機だね。落ちるなよ!
此の辺りの堤防はスーパー堤防でなく、緩斜堤防が続いています。近在の寺社、見処などに寄る度に此れを越えるのですが高さが20m程有り、少し面倒です。
 

 

北西に400m程の処に天台宗寺院の成就(じょうじゅ)寺が在ります。848年(嘉祥1)慈覚大師が開山し、1314年(正和3)に舜慶法印が中興したものと伝えられています。1927年(S2)に当地へ移転、元は本所竹町に在り、門前に枳(からたち)の並木が在った事から、からたち寺と呼ばれ、今でも其の名は通じています。山号:嘉桂山、院号:西光院、本尊:木造阿弥陀如来立像、所在:江戸川区平井1-24-33。

 

隣に天台宗寺院の最勝寺が在ります。慈覚大師が860年(貞観2)に創建、良本阿闍梨が中興したと云われ、1913年(T2)に本所表町から移転しています。山号:牛宝山、院号:明王院、本尊:釈迦如来像、所在:江戸川区平井1-25-32。目黄不動堂の前には色々な蓮の鉢が沢山並び、開花時期に来たかったね。
 

 

荒川右岸沿いの遊歩道を600m進むと、今回最終地点の『#12総武本線荒川放水路橋梁』に到着です。JR東日本の総武本線平井駅と新小岩駅の間に位置する橋梁で、初代の橋梁は1921年(T10)に架橋されたワーレントラスです。総武本線は1972年(S47)に高架・複々線化されており、同時期に追加架橋されています。下流側の橋梁は緩行線(各駅停車)、真ん中の橋梁に快速線、一番上流側の橋梁は越中島支線(小岩駅と越中島貨物駅を結ぶ貨物支線)が通ります。
 

 

 



名称:総武本線荒川放水路橋梁
構造種別:8径間下路ワーレントラス
河口からの距離:5.8km
橋の長さ:486m
軌道:複線2橋梁+単線1橋梁
竣工:1972年(S47)





>>>後書き<<<
気温も15℃前後に安定して漸く冬から脱出、春本番の気配ですね。都内の桜開花予報は3月26日、昨年より10日程遅いけど平年並みとの事。見頃は4/2日~4/10日ですよ。
次回は荒川左岸の船堀橋から遡上して、平井大橋までを紹介します。

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/14(金) 03:10:18|
  2. 荒川

Scene-86 荒川左岸 『船堀橋』


This best shot
 

次回アップ予定:Scene-87 荒川右岸『首都高7号線荒川大橋、新小松川大橋、他2橋梁』(3/15)
今回は荒川左岸のメトロ東西線荒川橋梁から遡上して、船堀橋までを紹介します。前回紹介の清砂橋と東西線の高架下を通る都道308号千住小松川葛西沖線(船堀街道)で北に800m程進むと、江戸川区立の行船(ぎょうせん)公園が在り、園内に自然動物園が公開されています。
 

行船公園は1933年(S8)に地元の東京府議会議員の田中源(屋号:行船)により公園用地として東京市に寄付されたもので、1950年(S25)に江戸川区に移管された後、1983年(S58)に江戸川区自然動物園が園内にオープンしています。管理者:公益財団法人えどがわ環境財団、休園日:月曜、入場無料、所在:江戸川区北葛西3-2-1。広さは4900平米で上野動物園の約1/30と小さい動物園で、約60種類の動物が見られます。入って直ぐ「ふれあいコーナー」が在り、羊、ヤギ、ウサギなどの小動物と戯れる事が出来ます。ヤギのチョコちゃん、寒がりなので毛布を被せて貰い暖かそうです。入口左がペンギンコーナー、正面にオタリアJr、子供だけどデカいね。
 

 

左沿いに猿山が在り、長い尻尾を持つケナガクモザルが居ます。尻尾で、ぶら下がる姿が蜘蛛に似ている事からクモザルって云うらしいです。それにしても器用な事、お見事です。裏側にプレーリードッグの山が在ります。出身地は北米で草原地帯をプレーリーと云い、ネズミの仲間だけど、鳴き声がキャンキャンと犬の様である事が名前の由来。お得意の立った警戒ポーズが可愛いね!
 

 

後ろ側にオーストラリアからの留学生、ワラビー君だ。カンガルー属だけどカンガルーよりも顔がスッキリしていて可愛いね。反対側にオオアリクイが居ます。隣にもクモザルの山が在り、此方の種類はジェフロイクモザルで、新世界ザルだそうです。新世界ザル?とは鼻の形で区別出来ます。ジェフロイクモザルのように鼻の穴が丸く、横を向いて間隔が広い鼻を持つ猿で、広鼻猿とも呼ばれています。対して人間の様に鼻の穴が下向きで左右の穴の間隔が狭い鼻を持つ猿が旧世界ザルで、狭鼻猿とも呼ばれ、旧世界ザルの中に類人猿と人類が含まれます。
 

 

ゲージの中に猛禽類のタカ、ハヤブサも見られます。陽当たりが良くポカポカで隼君、眠たそうです。隣のゲージには鷹&都市のトシに、クリソツな、リスザルがウヨウヨと沢山居ます、欧米か!いや、出身地は中南米ですよ。
 

 

自然動物園を出て船堀街道を北に600m程進むと、浄土宗寺院の安楽寺が在ります。元は千葉県小金村の東漸寺末で、安楽寺は法誉伝竜法印が開山となり創建したと云われています。山号:金胎山、院号:不断光院、本尊:阿弥陀如来坐像、所在:江戸川区北葛西1-25-16。鐘楼門は江戸時代の造りと云われており、元は山梨県の古寺に在ったもので此方に移築しています。
 

 

安楽寺脇の道を400m程荒川側に進んだ右手に、豊栄稲荷神社が在ります。1690年(元禄3)の創建と云われています。祭神:豊受姫命、所在:江戸川区北葛西1-16-51。拝殿前の狛犬は1935年(S10)の奉納です。
 

 

豊栄稲荷神社の後ろ側に、運河(新川)が流れています。新川は旧江戸川から中川に合流する3kmの川で、江戸時代に行徳で捕れた塩を江戸に運ぶ為に開削されました。新川沿いに進むと江戸時代風の三径間単純木橋(連続桁)の櫓(やぐら)橋が架かっています。長さ:23.5m、幅員:4m、竣工:2008年(H20)。其の先に架かるのが西水門橋です、長さ:約35m、幅員:約10m、竣工:2007年(H19)。橋の手前に在る白壁の小屋はトイレで、木材をふんだんに使用した造りで内部に木の香りが溢れ、トイレとは思えない環境でした。
 

 

新川が中川に入り込む場所に新川排水機場が在ります。新川の東方向に在る東樋水門で旧江戸川の水を取り入れ、此の新川排水機場から中川に縦軸軸流ポンプで強制排水する事により新川の水質改善と、水位調整により水害を防止しています。竣工:1968年(S43)、所在:江戸川区北葛西1-16-22。
 



西水門橋を渡り、中川沿いの堤防を上がると、東京湾岸警察署の中川水上派出所が在ります。中川、荒川の水上事故を対応しているそうです。下流側に新川西水門広場が在り、新川千本桜の起点として整備され、敷地には広場や高さ15.5mの火の見櫓が建っています。火の見櫓は上に上がれるそうですが、土日祝日のみの開放であり、当日は平日だったので上がれませんでした。
 

 

堤防を降りて西に100m程の処に浄土宗寺院の法然寺が在ります。一蓮社専誉了雲上人が開山となり1616年(元和2)に創建されたと云われています。山号:摂取山、院号:光照院、本尊:来迎阿弥陀如来像、所在:江戸川区船堀2-10-10。
 

 

法然寺から北東に200m、都営新宿線の船堀駅前に寄ります。何用かって?昼時でお腹が空いたからで、寒いのでコンビニのお握りには手が出ず、暖かい物が欲しくなったからです。駅前に、すき屋が在ったのでキムチ牛丼と卵セット(¥450)を注文、旨っ。キムチで躰ポカポカ、暫く休んでから今回最終地点の船堀橋へ向かいます。
 

船堀駅から西へ400m、荒川と中川に架かる『#08船堀橋』に到着です。右岸の江戸川区小松川と左岸の江戸川区船堀とを結び、都道50号東京市川線(新大橋通り)が通ります。下流側には前回紹介の新宿線橋梁、上流には荒川大橋が架かっています。橋の下にはカルガモが餌探し、中洲ではブルーハウスの住人も晩御飯のおかずを負けじと調達中です。
 

 

1923年(T12)には300m程下流に木橋の旧船堀橋が架けられていたが、老朽化により撤去され現在地に船堀橋が架橋されています。
 

 

 



名称:船堀橋
構造種別:7径間補剛ゲルバー桁+単純鋼箱桁
河口からの距離:3.5km
橋の長さ:524.1m
有効幅員:18.7m
竣工:1971年(S46)





>>>後書き<<<
プレーリードッグ可愛いね、飼いたくなったのでネットで検索。ひぇ~、15~30万円もするのか!日本では輸入禁止動物に指定されていて、規制前は2万円程度だったとの事でビックリです。
次回は荒川右岸の都営地下鉄新宿線橋梁から遡上して、首都高7号線荒川大橋、新小松川大橋、小松川大橋、そして総武本線橋梁までの紹介です。

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/10(月) 03:10:28|
  2. 荒川

Spot-11 伊豆 『河津桜祭り』


This best shot


次回アップ予定:Scene-86 荒川左岸 『船堀橋』(3/10)
今回もSpot紹介です。場所は静岡県賀茂郡河津町で、毎年2月上旬から咲き始め3月上旬までの約1ヶ月、「河津桜まつり」が開催されて多くの花見客で賑わっています。今週が見頃の最後なので、天気予報を確認し晴天の4日に河津桜を見に行ってきましたので紹介します。自宅からJR河津駅までは約3時間半掛かるので、必然的に早朝の出発(5:34発)になり、JR南武線、小田急電鉄で小田原駅経由、JR東海道本線、伊東線で河津駅に9:08分に到着です。

 

駅前に足湯ならぬ手湯が在りました。冷えた手に暖を取るのに丁度良いので浸かりましたが、アチチ!温度はかなり熱めでした。駅前から河津桜の並木が続き、河津川沿いの桜並木へと誘導してくれます。

 

河口から河津川に沿って桜並木が約3km続いていますが、何処も同じ様相なので開花が満開でお勧めと云われた館橋から河口側の約300mを中心に散策します。河津川の岸辺には菜の花も満開で、桜のピンクも良いけど黄色が映えて綺麗ですね。
 

 

河津桜は大島桜と寒緋桜との自然交雑種であると推定されており、1955年(S30)に静岡県賀茂郡河津町田中で原木が発見され、発見者の飯田氏の屋号から小峰桜と地元で云われてきたが、其の後の学術調査で新種と判明し、1974年(S49)に「河津桜」と命名されています。
 

 

河津川対岸に在る河津八幡神社へ行きます。河津川に架かる館橋を渡って左折、約100mで1958年(S33)奉納の明神鳥居が見えて来ます。河津八幡神社の創建は応保年間(1161~1163年)と云われています、所在:賀茂郡河津町谷津375。
 

祭神は天津児屋根命、後に日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」で知られている、曽我兄弟と其の父、河津三郎祐泰が祀られています。仇討の発端は、兄弟の祖父伊東祐親と叔父工藤祐経との領地争いで工藤祐経は祐親に恨みを抱いており、1176年(安元2)巻狩りの帰途、工藤祐経の部下、八幡三郎と大見小藤太に祐親を待ち伏せさせた。2人の刺客が放った矢は一緒にいた祐親の嫡男河津三郎祐泰に刺さり、祐泰は非業の死を遂げる。兄弟は父の死後、母の再婚により相州曽我村に移り住み、兄の十郎祐成、弟の五郎時致は曽我を名乗る事になりました。其の後、兄弟は元服し1193年(建久4)に源頼朝が催した富士の裾野での巻狩りに於いて、親の仇である工藤祐経の陣屋に討ち入り見事本懐を遂げます。しかし、十郎は討死、五郎は捕えられて処刑、兄22歳、弟20歳であったと云われています。此の事件は全国津々浦々に広まり、後世の「曽我物語」となり、舞曲、歌舞伎、浄瑠璃などの世界にも波及し「曽我物」と呼ばれています。
日本三大仇討ちの残り2つは、「伊賀越の仇討ち:渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った事件」、「赤穂浪士の討入り:赤穂浪士、吉良上野介義央の屋敷に討入った事件」です。曽我兄弟像の左側には父河津三郎祐泰の像が在ります。豪力の者として聞こえ、伊豆巻狩りの際に源頼朝の前で行なわれた相撲で、日本一の名を得ていた俣野五郎を破っており、相撲の決まり手の一つ河津掛けの考案者とされています。因みに、プロレスでバックドロップの防御に河津掛けが使われていますが、此の技を攻撃型に進化させたのがジャイアント馬場の河津落としですね、アッパー。
 

河津八幡神社の左手に浄土真宗本願寺派の専光寺が在ります。創建は1596(慶長1)~1616(元和2)の間と云われています。山号:佛法山、本尊:聖徳太子像、所在:賀茂郡河津町谷津392。
細道の並びにも日蓮宗寺院の乗安寺が在ります。此方は創建不詳、山号:長運山、本尊:十界曼荼羅像、所在:賀茂郡河津町谷津413。
 

100m程進むと河津川の河口に架かる浜橋に出ます。河津浜海岸が目の前に広がっているので、海を見に浜に降りると海風が強く白波が目立ちます。此処で一服休憩、だけど風が強くて着火出来ません。こういう時の為に予備で持っているのがターボライターだ、強風もなんのその楽々着火です。煙草、止めたくても中々止められないね。1箱¥1000位になれば止めるかな?止めないだろうね!もし\1万になったら、自分で作るよ。
 

 

 

館橋から左岸側の桜並木に戻ってもう一度、河津桜を紹介します。花の蜜を求めてメジロも飛んでいましたが、花の陰に隠れて中々顔を出してくれません、1枚だけ撮れましたので載せて置きます。
 

 

 

河津駅の南東に寺社が3箇所在るので寄ります。先ずは須佐乃男神社です、創建は不詳。須佐乃男神は、牛頭天王と同じ神であるとされているので「天王さま」と云われています。祭神:須佐乃男神社命、所在:賀茂郡河津町浜31。
 

 

須佐乃男神社の北東50mに臨済宗建長寺派の長福寺が在ります。山号:高松山、本尊:釈迦牟尼仏像、所在:賀茂郡河津町浜290。
 

長福寺の東150m程に浄土宗の称念寺が在ります。1175年(安元3)に河津三郎祐泰が谷津館の内に称念庵を創立、阿弥陀如来像を安置したのが始まりと云われています。山号:寶林山、本尊:阿弥陀如来像、所在:賀茂郡河津町浜334-1。入口の山門、少し傾いでいます。境内にも綺麗な河津桜が咲き、裏山の緑との配色バランスが良く鮮やかさが際立っています。
 

 

 

時間は11時過ぎ、未だ時間が有るので河津駅の北西1km程の位置に在る杉桙別命(すぎほこわけのみこと)神社に寄ります。杉桙別命神社は古くは桙別明神、木野明神、来宮明神、木野神社、木之神社、鬼崎(きのさき)明神などと呼ばれており、現在でも河津来宮神社と俗称されているキノミヤ信仰を有する神社です。創建不詳、社伝によると、古代から鎮座していたが和銅年間(708~15年)に再建されたと云われており、1193年(建久4)に源頼朝が再建、1226年(嘉禄2年)に藤原頼経により更に社殿が再築されたと云います。其の後も、1513年(永正10)に足利義植により社殿が再築され、1538年(天文7)社殿等を尽く焼失し、同13年には洪水によって社領が流されてからは退廃して小祠での鎮座となったものを、国守代官清水康英等が再建したと云われています。祭神:杉桙別命、所在:賀茂郡河津町田中宮ノ脇153。入口の明神鳥居は1961年(S36)奉納、二の鳥居は神明鳥居で2000年(H12)の奉納です。
 

 

拝殿前の狛犬は1820年(文政3)の古い建立で、前にはちびっこの狛犬も居て可愛いですね。拝殿の左側には今までに見た事が無い大きさの楠が聳えていて、時が停まった様に立ちすくみます。超デカイですよ!杉桙別命神社の大楠は樹高約24m、幹周14mで樹齢1000年以上と推定され、国の天然記念物に指定されています。古くより来宮様の大クスと呼ばれ、神木として崇められています。かつて河津には7本の大楠が在り、明治時代中頃まで河津郷の七抱七楠(ななかかえななくす)と呼ばれていましたが、現存しているのは此の1本だけです。因みに国内最大の楠は鹿児島県姶良郡蒲生町安楽に在る、蒲生の大楠で幹周24m、樹齢1500年以上です。
 

 

河津駅に戻る途中500mの処に姫宮神社の案内板が見えたので寄って見ます。古くは姫宮、姫(妃)宮大明神と呼ばれていた神社で、社伝によると元亀頃(1570~73年)までは社領を有したが、天正年間(1573~92年)に没収され、1596年(文禄5)に古記録等を持ち去られてから衰退し、1664年(寛文4)に河津全村の人々によって再興されたと云われています。1873年(M6)村社に列格、社号を姫宮神社に変更、更に1963年(S38)に杉桙別命神社の本殿脇に遷座されたが、2002年(H14)に再び現在地に返遷しています。祭神:佐々原比咩命、所在:賀茂郡河津町笹原314。入口の明神鳥居は現在地に返遷した時の奉納です。
 

 

姫宮神社から駅前通りに出て直ぐ傍の民家に大きな河津桜が咲いていて、「かじやの桜」の看板が掲げられています。「かじや」は屋号かな?河津桜原木が発見された後、接ぎ木による苗の生産が始まり、河津町内の関係者にも配られた内の一本で、地元の方には一期生の桜と呼ばれているそうです。
 

>>>後書き<<<
河津駅に12:30分前に到着、12:36発の伊豆急行で来た順路を逆に帰宅します。静岡と云ったら土産はワサビ、途中の小田原駅で山葵漬けと、美味しそうだったので鯵乃押寿しも購入です。河津桜の多さと美しさに感激、杉桙別命神社の大楠に感動したSpot-11でした。徒歩数は10500歩、移動距離278km、11時間の行程でしたが、約8時間は電車内で座りぱっなしの為、臀部が痛くなり痛筋電車でした。 オ.ワ.リ...
次回は、通常Sceneに戻って荒川左岸のメトロ東西線荒川橋梁から遡上して、船堀橋までの紹介です。
 

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/07(金) 03:43:13|
  2. 河津町

Scene-85 荒川右岸 『葛西橋、都営地下鉄新宿線橋梁』


This best shot
 

次回アップ予定:Spot-11伊豆 『河津桜』(3/7)
今回は荒川右岸の湾岸橋、河口橋から遡上して、葛西橋、都営地下鉄新宿線橋梁までを紹介します。スタートはJR京葉線の新木場駅、駅前の夢の島公園からの散策開始です。夢の島公園は、ゴミの最終処分場だった東京湾14号地(夢の島)を整備して作られた都立のスポーツ公園で、1978年(S53年)に開園しています。公園入口に立つ案内板によると第五福竜丸展示館や熱帯植物園、スポーツ文化館などが在ります。
 

 

先ずは、第五福竜丸展示館です。第五福竜丸は、1954年(S29)に太平洋のマーシャル諸島に在るビキニ環礁でアメリカが行なった水爆実験によって被害を受けた漁船です。総トン数140Ton、全長約30m、高さ15m、幅6mで、普段は海面下に隠れている船底も間近に見ると、かなり大きな木造漁船です。展示品には船に降り注いだ多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた船員の被害状況を報道した記事や資料なども在ります。東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物で知って貰う機会と共に、原水爆による惨事が再び起こらないようにと云う願いを込めて、此の展示館を建設しました。休館日は月曜、入場無料。所在:江東区夢の島2-1-1。屋外には第五福竜丸のエンジンも展示されています。
 

 

 

第五福竜丸展示館の前は夢の島マリーナになっていて、高そうなクルーザーやヨットが並んでいます。大型船だと係留料金だけで年間200万円程だそうだけど、本体が1億円だから安いものだよと、大物芸能人が言ったとか言わなかったとか。別世界の道楽だね!所在:江東区夢の島3-2-1。ヨットのマストの中で判り難いけどTST(スカイツリー)も見えますよ、探して見て下さい。
 

 

夢の島マリーナから荒川河口部への砂町運河出入口に新砂水門が設置されています。ヨットなどの背の高い船も出入り出来る様に、水門通過時に上空高さ制限の無いセクターゲート式が採用されています。門扉型式:セクターゲート、有効幅員:23.4m×1連、竣工:1976年(S51)。横からの絵だけでは判り難いので上空からの絵をGoogleから借用して載せて置きます。
 

 

夢の島マリーナの後ろ側にドームが在ります、夢の島熱帯植物館で温室の暖房や館内冷暖房は全て隣接する新江東清掃工場から送られて来る高温水で賄っています。休館日:月曜、入場料金:¥250、所在:江東区夢の島2-1-2。時間が無いので入館はパス!隣には東京スポーツ文化館(通称BumB)が建っています。スポーツに加えて文化・学習、宿泊施設などを備えた建物です。
 

砂町運河を渡るには荒川右岸から1500m離れている都道306号線(明治通り)を使って遡上するしかありません。都道10号線経由で4km程大きく迂回して、前回紹介した清砂大橋まで移動します。整備された遊歩道を500m程進むと河口から1kmポスト発見、目の前に『#06葛西橋』が現れます。葛西橋は右岸の江東区東砂と左岸の江戸川区西葛西とを結び、都道10号東京浦安線、都道475号永代葛西橋線(葛西橋通り)が通ります。
 

 

旧葛西橋は現在の橋から上流300m程に1928年(S3)に架けられましたが、木橋であり老朽化による崩落事故などが有り、現在の橋の架橋により役目を終えています。
 

 

 



名称:葛西橋
構造種別:10径間補剛ゲルバー桁
河口からの距離:1.1km
橋の長さ:727.4m
有効幅員:15m
竣工:1963年(S38)





葛西橋を通る都道10号線を右岸側の葛西橋西詰め交差点まで200m程進み、右に曲がった先に東砂の天祖神社が在ります。東砂天祖神社は、深川神明宮の分霊を勧請して1697年(元禄10)に創建したと云われています。祭神:天照皇大御神、所在:江東区東砂6-13-4。入口鳥居は2001年(H13)奉納の神明鳥居、狛犬は1905年(M38)の建立です。
 

 

天祖神社から北に400m程進むと中田稲荷神社が在ります。此の地の開拓の際に旧中田新田村の鎮守として慶安年間(1648~1651)に創建された神社です。祭神:宇迦之御魂命、所在:江東区東砂5-4-10。西に200m進むと此の地の大塚新田村が開拓される寛永年間(1624~1644)に勧請、鎮守となったと云われている大塚天祖神社が在ります。祭神:天照皇大御神、所在:江東区東砂4-2-18。
 

 

北に末広通り商店街を600m程進んだ処に生田稲荷神社が在ります。生田稲荷神社は、当地開拓の際に旧太郎兵衛新田村の鎮守として慶安年間(1648~1651)に創建されたと云われています。祭神:宇迦之御魂命、所在:江東区東砂3-17-17。入口の神明鳥居は1896年(M29)のほうのう、拝殿前の狛犬は1990年(H2)奉納刻有り。神楽殿の軒下にはキジトラ猫が日向ぼっこです、肉球が汚れているよ!風呂でちゃんと洗えよ!!

 

 

生田神社の拝殿脇を裏手に進むと真宗大谷派の因速(いんそく)寺が在りました。江戸時代初期1623年(元和9)に釋定玄法師により、江戸の京橋竹町に建立された後、1625年(寛永2)に木挽町八丁堀に移転したが、類焼により現在地に寺基を移しています。山号:大護山、本尊:阿弥陀如来像、所在:江東区東砂1-4-10。
 

隣に日蓮宗寺院の上妙寺が在ります。創建は1625年(寛永2)、荻新田を開発した荻兄弟が開基となり、徳蔵院日財上人を迎え開山しています。千葉県松戸市北小金・本山本土寺の末寺です。山号:最勝山、本尊:木造三宝本尊像、所在:江東区東砂1-4-6。
 

東へ500m程移動し荒川沿いに戻ります。右岸沿いを迂回過ぎて600m程、素っ飛ばしたので戻ります、えへへ。葛西橋の上流に漁船などの桟橋が在ります。此処から河口を経て東京湾でアジ、シロギスなどを釣りに行くそうです、¥9000/人前後です。其の先800m程に河口から2kmポストが立ち、付近に小松川リバーステーションが在ります。通常は水上バスが利用し、地震災害時に道路が使用できなくなった際には、此処から重機や支援物資を船で搬出入する移動拠点になります。川辺ではヒドリガモの♂が泳いでます、羽が綺麗なカモですね。
 

 

リバーステーションの先に見える水門は手前が小名木川排水機場水門、奥に聳える建物は荒川ロックゲートの管理棟です。
 

ロックゲートは閘門(こうもん)と呼ばれ、水位の異なる河川や運河との間で船を上下させる為の船のエレベータ装置で、片側のゲートを開いて船を入れゲートを閉じます、次に出口側の河川水位と同じになる様に水量を調整した後、反対側のゲートを開けて船を出します。荒川ロックゲートは荒川と旧中川とを結ぶ閘門で、2005年(H17)に完成しています。今までは、荒川と旧中川は江東地区の地盤沈下により水位差が最大3mに達する事があり、連絡水路を設ける事が出来ませんでしたが、水上交通が大震災時等に有効で有ると云う事から水路が見直される事になり、此の閘門が造られました。荒川ロックゲート諸元、閘室内幅:14m、閘室長さ65m、ゲート形式:ローラーゲート、ゲート開閉速度:10m/min、水位調整方式:バイパス管形式。通過する船は前後左右に余裕が必要な為、最大長55m、最大幅12m、最大高4.5m以内(干満により異なります)の大きさの船であれば通過が可能で利用料金は無料です。所在:江戸川区小松川1丁目付近。
 

 

管理棟へは階段で上がれ、6Fの回廊から荒川の上流、下流が一望出来ます。川には小型の和船が、ぐるぐると弧を描いています、良く見ると船尾にロープが垂れていてシジミなどの貝曳き網漁をしている模様です。沢山の船が良くぶつからないものだと感心しました。
 

 

又々、長文になってしまいました。なんせ荒川は橋と橋の間隔が広いので、毎回橋の紹介を一つはするので此の様な状態になってしまいますのでご勘弁を!最後に新宿線荒川橋梁を紹介して終わりにします。ロックゲートから700m程上流に架かるのが『#07都営地下鉄新宿線荒川橋梁』です。橋梁の右岸下は干潟になっていて、おばちゃんが何か採っています。先程の貝曳き網漁を行なっていた場所からも近く多分、シジミだね。此の付近は海から5km程で、淡水と海水が混ざり合う汽水域なのですね。
 

都営地下鉄新宿線荒川中川橋梁は文字通り荒川と中川戸に架かる橋梁で、右岸の江戸川区小松川から左岸の江戸川区船堀地区を通り、右岸側の東大島駅と左岸側の船堀駅間に在ります。1983年(S58)に東大島駅~船堀駅間(1.7km)が開業しており、同時期に架橋された模様です。
 

 

 



名称:都営地下鉄新宿線荒川中川橋梁
構造種別:6径間連続トラス
河口からの距離:3.2km
橋の長さ:530m
軌道:複線
竣工:1983年(S58)推定





>>>後書き<<<
先週は4月の様な暖かさでしたが、3月に入ったら又、寒の戻りで朝晩は寒いですね。三寒四温、春まで後少し、下旬には桜も開花するので花見にでも行くかな。今の時期に咲いているのは河津桜ですね、今年は3月上旬頃まで見られそうです。そう、行くなら今でしょ!と、云う事で今回のブログをアップした本日、伊豆への桜見物を思い付きで計画しました。家から河津駅まで3時間半、9時頃到着だと5時半に出発です。今からだと3時間程仮眠出来るので、カメラとナビのバッテリを充電しながらお休みなさい。撮影内容は次回にアップします。

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/04(火) 01:55:45|
  2. 荒川

Spot-10 秩父 『大滝/三十槌の氷柱、長瀞宝登山/ロウバイ』


This best shot


次回アップ予定:Scene-85 荒川右岸 『葛西橋、都営地下鉄新宿線橋梁』(3/4)
今回Spotで紹介する三十槌(みそつち)の氷柱(つらら)は荒川上流に在る、ウッドルーフ奥秩父オートキャンプ場下の荒川河川敷の冬場に現れる名勝で、山肌から落ちる岩清水を素材にして自然が作り出す氷の芸術です。先月放映されたTV-Newsで偶々観ていて、荒川の河川敷に在ると云うので直ぐに反応し、場所と公開時期を検索。今月からアップしている荒川遡上編でも終盤に通過するポイントでもありますが、氷柱が見られる期間が1月と2月なので遡上時期とタイミングが合わない可能性が有ります。なので行くなら今でしょ!ネットで下調べの時に三十槌の氷柱バスツアーをヒット。此れ良いね~!スケジュール調整もお任せで楽なので、早速2月22日で申込みを完了しました。ところが、




御承知の様に2月15日に関東全域に大雪が降りましたが、ツアーまで1週間有るので問題ないと思っていましたが、ガガ~ン、旅行会社からツアー中止の電話連絡です。過去に例の無い大雪だった為、除雪作業が進まないのでキャンセル扱いになりましたとの事でした。ん~残念だけど仕方ないね。
其の後、現地のバス運行状況をウォッチング。2月24日にバス路線が略開通になったとの事なので、25日に単独で行く事に決定し、駅探でダイヤを確認。電車とバスを含めて自宅から約3時間掛かるので、早朝5:38に自宅を出発、武蔵野線新秋津駅で乗り換え、西武池袋線秋津駅から西武秩父線経由で西武秩父駅まで快調に走行していました。「していました」と云う事は何か有ったね!そうです、降雪の影響(雪崩の危険)が残っていて秩父線が御花畑駅から一つ目の影森駅止まりで、終着駅の三峰口駅との5駅間が代行バス運行になっていました。
 

 

代行バスが走っていれば問題ないと思ったのですが、駅前に代行バスの姿無し!駅員に確認すると1時間間隔の運行で、少し前に出たので約1時間待って下さいとの事。あじゃぱ~、日程が台無し、どうなるやらトホホです。幸いな事に当日は無風快晴で、気温は4℃程ですが日向は暖かく、日向ぼっこで待機です。結局、代行バスで三峰口駅に到着したのが予定より41分遅れの9:22でした。予定していたバス(9:00)は、とうに行ってしまい本数が少ないので次便は2時間後!タクシー利用に変更かな?あじゃぱ~Part2。
 

 

バス停でダイヤ確認。ヤッター!運が良く、別系統路線に9:35発が有りラッキー!と思ったのに中々バスが来ません。営業所のおっちゃんに聞くと道路事情で遅れていますとの事。若干の遅れで9:40頃に来ました、と思ったら運ちゃんが折り返し休憩に入り、中々出て来ません。結局、定刻の10分遅れで発車、乗客は3人。今日は赤字運行だね。此の付近の積雪は約1m、除雪も綺麗にされて道路脇に山の様に積まれています。
 

 

三十場バス停にスケジュールの45分遅れの10:04に到着なので、撮影ポイントを一部割愛して時間調整する事にします。取り敢えず、三十槌の氷柱へ向かいます。国道140号も綺麗に除雪して有るので助かります。道路左手に荒川が流れていますが、民家からの雑排水が流れ込んでいるのか?水質は少し濁っています。10分程で氷柱の入口に着き、左手の脇道を河川敷へ降りて行きます。
 

 

 

河川敷に降りる途中から三十槌の氷柱が見え始めました、凄いね~!氷柱のスケールが半端無い大きさです。山肌から染み出す湧き水が創る天然の氷柱で、約30~50mの幅に約8~10m程の高さで連なっています。暫し、御鑑賞下さい。
 

 

 

 

上流側に進んで行くと、下流側よりも大きな氷柱が見られます。此方は人口氷柱ゾーンの表記が有り、崖上からの放水により造られた氷柱です。此れも見事ですね。
 

 

 

氷柱順路の端、氷柱を見下ろす位置に額渕(ぬかぶち)水天宮が在りました。由緒札には「此の下に底無しの渕が在り其の余りの深さに額ずいて底を見た事から、誰とは無く其の渕を額渕と呼称し今も地名として残っている。額渕は水力発電用の取水堰堤により砂石が堆積して埋まってしまったが、霊験あらたかな水天宮の信仰は人々の心の寄りどころとして現在に至っています」と有ります。
 

帰りのバス時刻11:26に合わせて宮平のバス停へ戻り、此処でチョンボ発生です。バスが時間に来ないのでバス停の時刻表を確認したら、待っていたバス停は逆方向用でした。宮平のバス停は分岐路に跨って在り、三峰口駅行きは分岐の反対側に在りました。あじゃぱ~Part3。ダイヤを確認、ラッキーPart2、12:02発が有りました。氷柱の場所で後れを取り戻したのに、又40分遅れに戻りました。次の場所でも時間調整だ!バスが来るまで、荒川に合流する中津川に架かる中津川橋などを撮影して時間潰しです。
 

 

定刻ちょっと過ぎにバスが来たので三峰口駅まで乗車。三峰口駅で又、代行バスに乗り換えです。今度は連絡も上手く行き13:15分発の秩父鉄道熊谷駅行で長瀞駅まで行きます。此処までの影森駅~三十槌の氷柱間のナビ軌跡は44.5km、4時間22分です。
 



秩父鉄道の長瀞方向の軌道内の積雪は少なく、順調に走行し13:40分に長瀞駅に到着。此処に来た目的は宝登山(ほどさん)の蝋梅がシーズンだからです。其の前に此処で遅い昼食を取ります。宝登山へはロープウェイで行きますが、ロープウェイ麓駅までは駅前から約20分、発車時刻は30分置きなので14:30分発のロープウェイに乗るとして、昼食休憩は30分。駅前の長瀞屋で温かい山菜蕎麦(¥900)を注文です。来た山菜蕎麦はぬるくて麺はぶつ切れ、あじゃぱ~Part4です。お土産に買った「しゃくし菜の時雨煮」は美味でした。ラッキーPart3。序にしゃくし菜の説明をしましょう。しゃくし菜は標高が高い秩父地方で、白菜の代わりに作られてきた野菜で外観はチンゲン菜に似ています。形が「しゃもじ:杓子」に似ている事から秩父地方では「しゃくし菜」と呼ばれていますが、学術的には「雪白体菜」と云います。白菜には無いシャキシャキした食感で、漬物にすると歯切れが良く、きくらげ、こんにゃく、しその実、ししゃも魚卵、唐辛子などと一緒に甘辛く炊き上げられていて、ご飯のおかずに最適でした。
 

 

ロープウェイ麓駅への途中に宝登山神社が在りましたが、帰りの時間などの都合により参拝はパス、参道外からバシャッバシャッで終わりです。宝登山神社は埼玉県秩父郡長瀞町にある秩父三社の一社で、西暦110年、今から凡そ1900年前、第12代景行天皇の御代と伝えられています。祭神:神日本磐余彦尊、所在:秩父郡長瀞町長瀞1828。
 

 

神社参道脇の坂道を10分程上り14:30分発のロープウェイに乗車です。標高497mの宝登山に架設されているロープウェイは、標高213mの麓駅から山頂駅までの全長832mを約5分間で結び、2台のゴンドラ(50名様乗り)が、つるべ式に往復する四線交走式システムで運転を行なっています。ゴンドラに付けられた「ばんび号」と「もんきー号」の名前の由来は、宝登山小動物公園の人気者、鹿と日本猿に因んだ名前です。
 

 

山頂も1m程の積雪が有ったみたいですか、園内は除雪作業がなされており、見学には支障が有りませんでした。
 

山頂一帯、約15000平方mの敷地に3000本の蝋梅(ロウバイ)が咲いており、当日は4分咲き程度だったので3月一杯楽しめそうです。ロウバイ(蝋梅)はロウバイ科ロウバイ属の落葉低木で、1月から3月に掛けて黄色い花を付ける落葉広葉低木です。花の香りは強く、名前に梅が付いている為にバラ科サクラ属と誤解されやすいが別属です。宝登山に咲くロウバイは3種類で、和蝋梅(基本原種で花芯部は紅紫で小型)、素心蝋梅(早咲きで香りが良く、花芯部も黄色)、満月蝋梅(素心蝋梅から選抜された品種で花色は濃くて大輪)です。それでは、ロウバイを御鑑賞下さい。
 

 

 

園内にはロウバイの他にもマンサクや白梅も咲き、斜面を良く見ると春を告げる花の代表である福寿草も黄色の顔を出しています。マンサク(満作)はマンサク科マンサク属の落葉小高木で、語源は明らかでないが早春に咲く事から、「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったんだべな?
 

 

 

宝登山の山頂駅からは眼下に広がる秩父市内や、秩父のシンボル武甲山などが眺望出来ます。
 

帰りの電車の時間が迫って来ましたので、15:30発のロープウェイで下山して長瀞駅に向かいます。長瀞駅ではオンスケジュールの16:04分で発車。影森駅から宝登山折り返し西武秩父駅までのナビ軌跡は30.9km、3時間25分でした。残りの西武秩父駅から自宅までは朝来た順路を逆に約2時間で帰ります。徒歩数は15000程でしたが、全行程232km、13時間の遠足で疲れたび~。



>>>後書き<<<
急遽、氷柱の見学を計画した理由は、天候が春めいて来て氷柱の寿命が心配だったからです。今週の様な暖かい日が続くと間違いなく氷柱は落下してしまいます。なので、降雪の影響が多少残っていても行く事にしましたが、まさか秩父鉄道の代行運転までは気が付きませんでした。でも、ドタバタしたけど結果オーライで普段味わえない「あじゃぱ~」も沢山経験出来て楽しかったですよ。
次回は、通常Sceneに戻って荒川右岸の湾岸橋、河口橋から遡上して、葛西橋、都営地下鉄新宿線橋梁までの紹介です。

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2014/03/01(土) 03:03:13|
  2. 秩父

最新記事

カテゴリ

多摩川 (62)
多摩川に架かる橋--095 (1)
隅田川 (18)
隅田川に架かる橋--040 (1)
荒川 (59)
荒川に架かる橋----116 (1)
浅川 (14)
浅川に架かる橋----057 (1)
南浅川 (7)
南浅川に架かる橋--036 (1)
江戸川 (21)
江戸川に架かる橋--041 (1)
神田川 (18)
神田川に架かる橋--153 (1)
秋川 (15)
秋川に架かる橋----067 (1)
北秋川 (5)
北秋川に架かる橋--020 (1)
鶴見川 (21)
鶴見川に架かる橋--123 (1)
恩田川 (7)
恩田川に架かる橋--048 (1)
野川 (15)
野川に架かる橋----107 (1)
日本橋川 (5)
日本橋川に架かる橋031 (1)
相模川 (35)
相模川に架かる橋--159 (1)
玉川上水 (18)
玉川上水に架かる橋150 (1)
石神井川 (20)
石神井川に架かる橋179 (1)
入間川 (23)
入間川に架かる橋--109 (1)
高麗川 (6)
台湾-台北 (1)
ベトナム-ハノイ (2)
札幌雪まつり (2)
小樽 (1)
加茂水族館 (1)
弥彦温泉 (1)
寶川温泉 (1)
那須塩原温泉 (1)
日光 (2)
袋田の滝 (1)
秩父 (5)
川越 (2)
名栗渓谷鳥居観音 (1)
奥多摩 (2)
やまなみ五湖 (1)
忍野八海 (1)
鎌倉 (1)
横須賀港 (1)
三浦海岸 (1)
真鶴 (2)
伊東城ケ崎海岸 (1)
河津町 (1)
京都・奈良 (3)
大阪-関空と四天王寺 (1)
新宿御苑 (1)
三鷹国立天文台 (1)
神代植物公園 (2)
府中郷土の森博物館 (2)
昭和記念公園 (1)
川崎市立日本民家園 (1)
入間基地航空祭 (1)
横田基地日米友好祭 (2)
厚木基地日米親善春まつり (1)
その他 (8)

月別アーカイブ

カレンダー

02 | 2014/03 | 04
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

天気予報

東京の天気予報

東京の天気予報
-天気- -FC2-

検索フォーム

QRコード

QR

FC2カウンター

ご訪問 ありがとうございます。   リンクフリーです。