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次回アップ予定:Scene-361 入間川『初雁橋~八瀬大橋』(08/05 12:00)
今回は前回に引き続き、小江戸散策 後半のSpot紹介です。前回終着地点とした川越氷川神社から南西600m程に在る、川越市のシンボルになっている「時の鐘」へ行きます。地元では鐘撞堂と呼ばれている3層構造の塔で江戸時代の寛永年間に建てられ、現在の鐘撞堂は4代目で1894年(M27)の再築です(川越市指定有形文化財)。鐘撞堂を潜ると薬師神社の境内です。創建は不詳、元町市場に祀られていた市神の薬師堂を1623年(元和9)に現在地に遷座し、観音坊が開山となり天台宗の瑞光山医王院常蓮寺と号していましたが、明治の神仏分離令で常蓮寺は廃寺となり、薬師神社と改称しています。川越大火で鐘撞堂と共に焼失しましたが、翌年に再建されました。本尊:薬師如来像、所在:川越市幸町15-8。
鐘撞堂の先に古い町並みが残る蔵通りですが、My工程の都合で後回しにします。県道51号線へ戻り南に250m程進むと、■日本聖公会川越キリスト教会です。1889年(M22)に最初の礼拝堂が建てられましたが、川越大火により焼失、1921年(T10)に煉瓦造りで再建されました。西に150m進むと左手に、■旧武州銀行川越支店、現在は川越商工会議所として使用されています。川越のパルテノン神殿とも呼ばれ、ルネッサンス・リバイバル様式の建築で、ドリス式柱、バロック風の玄関上の飾りが施されています。1928年(S3)の建築で国の有形文化財に指定されています。商工会議所の角を左に曲がり大正浪漫夢通りに入ると、120m程南に、■シマノコーヒー大正館が在ります。一見レトロな雰囲気を醸し出していますが、なんちゃってレトロな1933年(S8)竣工の人造石洗い出し仕上げの看板建築です。隣の「いせや」も、1935年(S10)創業の和菓子屋です。商工会議所まで戻り、左手に■山崎美術館が在ります。和菓子の老舗「亀屋」の一角に建つ土蔵を利用し、山崎家に伝わる美術品・工芸品等のコレクションを展示している美術館です。入館料は\500、山崎家の建物は川越大火の翌年1894年(M27)の竣工です。
西に20m程進んで右折、蔵通り(一番街商店街)を北に進みます。30m程で左手に、■田中家住宅が在ります。外観はレトロな洋館ですが内部は蔵造りの建物で1915年(T4)竣工(川越市指定文化財)現在は喫茶店です。隣に■旧山吉(やまきち)デパートが並んでいます。1936年(S11)川越に初めて出来た高級百貨店で、鉄筋コンクリート工法による3階建て、ルネッサンス様式を基調とした外観になっており、4本のイオニア式大列柱や壁面のレリーフが施されています。現在は玄関のドアに小さな歯のマークと診療中のプレートが下がり、歯科医院ですね。北50m先に、■モダン洋風長屋が見えます。1932年(S7)に店舗付き賃貸住宅として山吉デパートが建てたものだそうです。端に鍛冶小町堂、川越の土産物と風呂敷、小物のお店です。70m先、右手に、■旧八十五銀行本店本館が在ります。1878年(M11)に埼玉県で初めて開業された国立銀行で、鉄筋コンクリート造3階建、ネオルネッサンス洋風建築です。現在は、埼玉銀行から埼玉りそな銀行に改称されています。
さらに70m程進むと、■原家住宅が在ります、川越大火の翌年に、呉服商を営む山本平兵衛が建てた蔵造りで、川越を代表する蔵造りの構造が随所に見られます。現在は「陶舗やまわ」が店を構え、地元陶芸作家の作品などが並んでいます。直ぐ先の鐘つき通りを過ぎて100m先に、■笛木醤油川越店が在ります、創業は1789年(寛政1)で伝統的な醸造方法を守り続けている醤油屋です。蔵は平成に建てられた新しい造りです。隣に建つのが、■大沢家住宅で、蔵通りの中で最も古く、呉服商の近江屋半右衛門が1792年(寛政4)に建てた蔵造りのお店です。川越大火の焼失から免れ、国の重要文化財に指定されています。40m先に、■川越元町郵便局が在ります、建物は蔵を改造したもので郵便ポストは明治時代に使用されていた黒塗柱箱の復刻版です。
蔵通り札の辻交差点を左折し高澤通りを西に250m、新河岸川に架かる高沢橋の手前を左に曲がると、浄土宗寺院の見立(けんりゅう)寺です。1558年(永禄1)小田原北条氏の重臣で川越の城将だった大道寺政繁が北条氏康の子感譽上人を開山として、城下に建立寺と称して創建、後に見立寺と改めたと云われています。山号:受昌山、院号:了心院、本尊:木造阿弥陀如来像、所在:川越市元町2-9-11。小江戸川越七福神の福布袋尊です。道端に咲いていた紅白の花はハコネウツギ(箱根空木)で、白い花が徐々に赤い花に変化します。
見立寺から南西600m程に日蓮宗寺院の妙昌寺が在ります。日蓮宗大本山本門寺の末寺で、室町時代の1375年(永和1)幸町の地に開創、江戸時代の1741年(寛保1)現在地に移転したと云われています。山号:法眞山、本尊:三宝尊、所在:川越市三光町29-1。小江戸川越七福神の弁財天です。花火の様に広がる青い花は、シラー・ペルビアナで和名はオオツルボ(大蔓穂)です。
妙昌寺から東に450m、浄土宗寺院の蓮馨(れんけい)寺へ行きます。室町時代の1549年(天文18)に川越城将の大道寺政繁の母、蓮馨大姉が仏教を広める為に建てた寺で、感誉存貞による開山と云われています。徳川家は浄土宗への信仰が厚く、開幕後の1602年(慶長7)に設けられた関東十八檀林(僧侶の養成機関・学問所)の一つで、寺領20石を拝領した御朱印寺です。山号:孤峯山、院号:宝池院、本尊:木造阿弥陀如来坐像、所在:川越市連雀町7-1。小江戸川越七福神の福禄寿です。
蓮馨寺前の蔵通りを挟んで東隣に川越熊野神社が在ります。1590年(天正18)蓮馨寺二世の然誉文応僧正が紀州熊野より勧請されたもので、元々は蓮馨寺境内でしたが、明治の神仏分離令の際に加佑稲荷神社、厳島神社の遷座と併せて独立しています。祭神:伊弉諾尊、事解之男尊、速玉之男尊、所在:川越市連雀町17-1。銭洗弁財天で小銭を洗って財布に入れたのですが、洗ったのを忘れて使っちゃいました、あんたバカだね(爆)。
熊野神社から南東200m程に出世稲荷神社が在り、散策は此処で最後にします。1832年(天保2)地主だった立川氏が伏見稲荷大社を勧請した屋敷神で、いちょう窪稲荷とも呼ばれています。祭神:宇迦之御魂大神、佐田彦之大神、大宮能売ノ大神、所在:川越市松江町1-7-1。
出世稲荷神社から南西に約400m、西武新宿線の本川越駅から国分寺経由で帰宅します。川越をグルリと一周、27000歩の散策でした。途中に酒屋が在ったので川越の地ビールCOEDOをお土産に帰宅、川越の名物、鰻も食べたかったけど、時間が早くて何処も準備中。冷凍庫に隠してある特売の鰻でも食べるかな(笑)。冷凍鰻を裏返して、ペティナイフでプスプスと皮に切れ目を入れてからチンすると、ふっくら柔らで美味しく仕上がりますよ。地ビールには肉だよネ、安い牛ステーキもオマケの牛脂が良いと旨くなりますよ。
>>>後書き<<<
次回は通常Sceneに戻り、JR川越線入間川橋梁から遡上して初雁橋、関越自動車道入間川橋、八瀬大橋側道橋、八瀬大橋までの紹介です。
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次回アップ予定:Spot-47 川越『小江戸散策』-其の2 (08/01 12:00)
入間川遡上の前回で西川越に来ましたが東方向に視線を移すと、江戸時代には川越藩の城下町として栄えた「小江戸」の別名を持つ川越です。寺社、史跡、歴史的建造物が多い歴史都市で見処一杯、今回は小江戸散策として川越をSpotで紹介します。自宅からJR南武線・武蔵野線経由、北朝霞駅で乗り換え、駅前の立ソバで朝食を摂り、東武東上線で川越駅に到着です。
川越駅から東方向へ向かい、左回りで約10kmの散策コースを適当に設定しましたので、順番に紹介しますね。先ずは北東400m程に在る川越八幡宮からです。1030年(長元3)甲斐守源頼信が平忠常の乱平定の祈願を此処で行ない、戦勝に感謝し創祀したと云われています。境内社に民部稲荷神社(相撲稲荷)を持ち、足腰を強くするという御利益で、箱根駅伝出場選手などに人気だそうです。明治維新の際に別当であった万蔵寺を廃止しています。祭神:誉田別命、所在:川越市南通町19-1。狛犬は1983年(S58)の建立です。
川越八幡宮から南に600m程進み、天台宗寺院の妙善寺へ行きます。1624年(寛永3)尊能による創建で、1788年(天明8)に焼失、本堂は1978年(S53)の再建です。山号:道人山、院号:三心院、本尊:不動明王像、所在:川越市菅原町9-6。小江戸川越七福神の毘沙門天です。
妙善寺から東に500m程に仙波氷川神社が在ります。当地の豪族仙波氏が1069年(延久1)に創建したと云われ、1872年(M5)村社に列格、1886年(M19)に稲荷神社、八坂神社、厳島神社を合祀しています。祭神:須佐之男命、所在:川越市仙波町4-19-1。狛犬は1939年(S14)の建立です。
仙波氷川神社から北東300mに天台宗寺院の天然寺が在ります。1554年(天文23年)に栄海上人による開山と云われています。山号:自然山、院号:大日院、本尊:木造大日如来坐像、所在:川越市仙波町4-10-10。武蔵国十三仏霊場の一番札所、小江戸川越七福神の寿老人です。
天然寺から北西800m程に在る、天台宗寺院の中院(なかいん)に行きます。平安時代の830年(天長7)淳和天皇の勅許により、円仁(慈覚大師)が仏地院(中院)を建立、鎌倉時代の終わり頃、無量寿寺から分かれたとされています。山号:星野山、寺号:無量寿寺、本尊:阿弥陀如来像、所在:川越市小仙波町5-15-1。
中院の北150m程に仙波東照宮が在ります。徳川家康公が没し、亡骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院(後述)で四日間の法要が営まれた事から1633年(寛永10)に建立されたと云われ、4代徳川家綱より200石を拝領しています。日光東照宮、久能山東照宮と共に三大東照宮の一つです。祭神:徳川家康公、所在:川越市小仙波町1-21-1。石鳥居は1638年(寛永15)の建立です。拝殿前の柵が施錠されていたので柵の隙間からパチリ、狛犬は江戸城から移設されたもので、埼玉県で最古だそうです。
100m北に天台宗寺院の喜多院が在ります。830年(天長7)創建の無量寿寺には北院、中院、南院が存在していましたが、先程の仙波東照宮が建てられた為、中院は南側に移動し、南院は明治の初めに廃院になり残った北院は、1599年(慶長4)天海僧正が第27世住職の時、院号を北院から喜多院に改めたと云われています。山号:星野山、本尊:阿弥陀如来像、所在:川越市小仙波町1-20-1。喜多院の山門手前に佇む白山権現(白山神社)は、慈覚大師が喜多院を創健する際に祀ったと伝えられています。小江戸川越七福神の大黒天です。
喜多院山門を出て、東50mに仙波日枝神社が在ります。近江国坂本の日吉大社を勧請したもので、元々は喜多院の鎮守として境内に在りましたが県道建設の為、大正時代に喜多院門前に移転しています。祭神:大山咋神、所在:川越市小仙波町1-4-1。
仙波日枝神社から北西200m程に真言宗智山派寺院の成田山川越別院が在ります。通称、川越不動と呼ばれており、1853年(嘉永6)に石川照温が廃寺の久保町本行院を復興して創建、1877年(M10)に成田山川越別院本行院と改称しています。本尊:不動明王像、所在:川越市久保町9-2。小江戸川越七福神の恵比寿天です。
成田山川越別院から北に900m、川越氷川神社に行きます。540年(欽明天皇2)に大宮氷川神社を勧請したと云われ、1873年(M6)に郷社、1923年(T12)には県社に昇格しています。祭神:素盞嗚尊、寄稲田姫命、大己貴命、脚摩乳神、手摩乳神、所在:川越市宮下町2-11-3。
>>>後書き<<<
紹介アイテムが多過ぎて、ブログが長くなりましたので一旦此処で切りますね。と云う事で、次回も小江戸散策の後半をSpotで紹介します。
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Author:mark60
関東地区の河川に架かる橋を
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